過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【タイのファランポーンの駅前】 2026.2.1

【タイのファランポーンの駅前】 2026.2.1

タイの駅前広場。地面に筵(むしろ)だけを敷いた露天が並ぶ。その数はおよそ200。机も椅子もない。天秤棒で担いできた果物の瓜とウィスキーを並べて売る。

客は、「あの娘がかわいいな、この娘が楽しそうだ」と眺めながら、地面に座って酒を飲み、娘たちと話をする。安酒でおいしいわけではないが。バックパッカーと地元タイの娘とが出会う人生の交差点のような場であった。

ここでは露天の営業は禁止で、ときどきピーッと警笛が鳴る。警官が取り締まりに来るのだ。捕まると厄介なことになる。みんなで一斉に逃げ出す。品物は没収されてしまうので、天秤棒、筵、酒、果物を持って逃げる。客も手伝って一緒に逃げる。

私も筵を持って逃げた。そうして近くの公園でまた店を開く。落ち着くと駅前広場に戻って開店する。そんなことの繰り返しだ。そのしたたかさとしなやかさが楽しい。

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ここはタイの首都バンコクにあるファランポーン(Hua Lamphong)駅前広場。国有鉄道の主要幹線4路線の起点駅で、にぎわいを見せている。

夕方になると、東北部のイサーン地方から出稼ぎに来た娘たちが店を開く。イサーンはタイでも最も貧しい地方で、彼女たちはこうして働きに来ているのだ。

バンコクで知り合った友人N君は、アイちゃんというかわいい娘が気に入り、毎日のように通っていた。私も一緒について行った。彼はついには結婚し、イサーンで暮らすことになった。

イサーンは貧しい地域で、年収は50万円ほどだろうか。現地で暮らしても現金収入は得にくく、食べ物は雑穀とキノコばかりだった。そこで彼らは年に一度、日本へ出稼ぎに来るようになった。

当時は、トヨタの組立工場で3ヶ月働くと100万円が貯まった。寮に住み、生活費をほとんどかけずに節約する。それで十分で、数年は暮らせた。N君はそのお金で東南アジアを旅していた。

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ある時、彼が東京に訪ねて来た。
「今度、さおだけ屋をやるので手伝ってほしい」。
聞けば、軽トラと竿竹をレンタルして売り歩くという。軽トラに拡声機をつけ、団地を回るのだ。

「一本500円」と呼びながら、実際には5千円から1万円ほどの竿を売りつける。運転に自信がないので、横に座って手伝ってほしいという。
「ああ、それはおもしろいね。やってみようか」。
私はこういう話にすぐ乗る性格だ。

一緒にさおだけ屋をした。杉並区の団地を回り、その日は一本売れた。これがうまくいけば、タイの妻と日本全国を旅しながら竿を売りたいという。寝泊まりは車の中でいいと考えていた。

だが、結局、彼が車で事故を起こし、さおだけ屋はあきらめた。

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彼は考えた。自分だけが日本で働いてお金を持ち帰ると、家族や親戚が「日本人は金持ちだ」と思い、皆が依存してしまう。
それより、家族や親戚、一族でできる仕事がいい。

そこで、イサーンにある沼地を利用し、スッポンの養殖を始めた。
その実業の才覚、度胸、挑戦する精神はすばらしかった。その後どうなったかは、もう連絡が途絶えてしまったが。

旅の楽しさは、異質な人との出会いだ。その人の人生に少し関わり、一緒に思いがけない体験ができる。それが旅の醍醐味でもある。この体験は30年余も前のことである。