【恐怖に対処するための必死の「生存戦略」】2026.1.27
小さな成功体験であり、同時に「恐怖を越えた」という身体記憶。
小さい頃、家にはテレビがなかった。それで、近くの中部電力の施設にテレビを毎日見に行った。7つか8つのころだから、そう60年位上も前のことだよ。
当時の番組は、『ポパイ」『スーパーマン』とか『月光仮面』とか『ハイウェイパトロール』とかがあった。ワクワクしてみていたものだ。
しかし、見ていて遅くなっていることに気がつかない。いつの間にか、8時過ぎになっていた。
外はもう真っ暗だ。
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もう帰らなくちゃいけない。
家まで走れば10分ぐらいなんだが、我が家は山のほうにあり、途中にお寺があったりして怖かった。
当時は、道に薄暗い街灯がすこしあるくらい。道路も舗装されていない。すれ違う人もいなかった。
とても怖い。
帰り道の静まり返った夜の冷たさ。
子どもの頃の「怖い」は、本当に圧倒的で全身を支配した。
泣きながら暗い夜道を走って帰ったのを覚えている。
泣くことで怖さから逃れることができたんだろうと思う。
それは弱さでもあるんだけど、恐怖という圧倒的な感情に対処するための、「泣く」のは子どもなりの必死の「生存戦略」だったのだろう。「負けない」という宣言だったのかも。
家に帰ったら、安心した。
「こんな暗い中、一人で帰った来られたのだ、すごいでしょう」と母親にホメてもらいたかったんだと思う。母親がホメてくれたかどうかは記憶にないが、感心してくれたと思う。
そして、「こんな暗い道を一人で帰ってこられたんだ」という自信というのか、勲章のような誇らしい気持ちが湧いてきたように思う。小さな成功体験であり、同時に「恐怖を越えた」という身体記憶だ。
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いまなぜこんなことを思い出したのかな。
眠れない夜に、幼少期の頃の思い出を「音声入力」で描いているので、そのときに浮かんできたことだ。
いま病で恐怖や不安、あるいは「生き延びる」ことを改めて意識せざるを得ない状況にいるからかな。
恐怖に打ち勝った英雄譚じゃなく、恐怖と共存しながら生き延びてきたという人生。そしていまも。
夜道を走り抜けた子どもの「生存戦略」が、60年後の今も、形を変えて自分を支え続けているのかも。