過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【インドの銀行で即席フリーマーケット】 2026.1.24

【インドの銀行で即席フリーマーケット】 2026.1.24

お金を持っているのに使えない。宿代も払えない。現地通貨がない。飛行機の出発日だというのに、帰りの列車の切符が買えない。
さあ、どうする? どうなる? そんな「万事窮す」の状況に陥ったとき。
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初めてのインド旅行は、サラリーマンだった。年末年始の休みを少し長めにもらって出かけた。

行き先もはっきりと決めていない、『地球の歩き方』があれば、宿なんか予約しないでもなんとかなると思っていた。

まずはオールドデリーに一泊して、バラナシ(ベナレス)を訪れた。
帰りにマトゥラーという田舎町に寄った。
タージマハルで有名なアグラから、さらに列車で一時間ほどの場所だ。

そこは、インドで初めて仏像が造られた地として興味があった。
美術館に行くと、国宝級の仏像がごろごろと床に転がっていた。ブッダ入滅後、仏足跡が作られ、やがて菩提樹を表すようになり、そして仏像へと至る過程がよくわかる展示だった。

マトゥラーの近くにはクリシュナ神の生誕地ブリンダーバンがあるのだが、最初の旅行時はブリンダーバンという聖地を知らなかった。
現地の人々から「ブリンダーバンには行ったか?」と聞かれたが、旅行ガイドブックに載っていなかったので行けなかった。とにかく田舎町だった。クリシュナ神を祀る寺院(ドゥワルカディッシュテンプル)を参拝しスケッチをして現地の人と話をして過ごした。
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マトゥラーの宿に2泊した。その日の夕方には東京行きのフライトを予定していた。マトゥラーからニューデリーまで2時間かかる。
宿代を払おうと、宿の主人にトラベラーズチェックを渡そうとする。
「そんなものはここでは換金できない。ルピーでなければ困る」と言われた。

「ええ?そうなんだ。ではどうしたらいい?」と尋ねると、「インディアンバンクかオーバーシーズバンクがあるから、そこへ行け」と言われた。なるほど、銀行へ行けばルピーに換金できるだろう。

まず最初の銀行へ行った。
しかし田舎の銀行なので「トラベラーズチェックは換金できない。ドル札も無理だ。他の銀行へ行け」と言われた。仕方なく次の銀行へ行った。そこでもダメだと言われた。支店長のような人とじっくり話し合っても、やはりダメだと言われた。

トラベラーズチェックもドルも持っていても、「現地通貨がない」ため、帰りの列車の切符も買えない。
この田舎町に足止めを食らってしまう。

今日中にデリーに戻り、空港へ行かなくてはならない。フライトに間に合わない。エアチケット代がパーになるぞ。さあ困った。これは焦る。
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どうしよう。どうにもならない。
まてまて、なんとかなる。
そうだ、そこでひらめいた。

「この銀行で持ってたものを売るしかない」

幸いデイバッグに、100円ライターやボールペン、懐中電灯、目覚まし時計、コンパクトカメラなど様々なものが入っている。「背に腹は代えられない!仕方がない」。
銀行のカウンターにそれらを並べた。

「さあ売るよ。買ってください」
銀行員はそんなわたしを誰も制しなかった。
カウンターはフリーマーケットの場となった。

声をかけると、銀行に来ていた客がわっと集まってきた。
「これはいくらだ」「もっと安くならないか」といったやり取りで、日本製品が売れていった。銀行員も「カメラが欲しい」と言い出し、事務を中断して別室で私と交渉しようとする始末。

銀行という「お金を扱う場」を「物々交換の市場」に変えてしまったわけだ。「銀行=貨幣システムの中枢」が、「人と人との直接交渉の場」へと反転する。

システム内で解決策がなければ、システムそのものの機能を一時的に書き換えてしまうようなものだ。
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そんな具合で、どうにか帰りの電車賃くらいは工面することができた。
宿代も払い、無事に切符も買って電車に乗り込んだ。
夕陽が色鮮やかだった。安堵感と「やったぞ」という高揚感があった。いちばんの旅の収穫だったかも。

旅の醍醐味は予定調和の破綻にある。
「万事窮す」という時でもパニックにならない。そこにひらめきが生まれる。突破の道が生まれる。
「行動力さえあれば道は開ける」ということを体験した。これが初めてのインド体験だった。

※しばらくインド体験を続けます。これらはもう25年くらい前の話しですけど。