過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【③東インド プーリーへの旅:いのちの曼荼羅】2026.1.22

【③東インド プーリーへの旅:いのちの曼荼羅】2026.1.22
夜行列車で10時間。朝方、プーリーの漁村に着いた。
カルカッタの雑踏で出会った中村君と一緒に宿を探す。
海の見える明るいゲストハウスを見つけた。一泊五百円。
まずは冷えた瓶ビールを注文。
「海はいいなあ」。スカッと広がる開放感を味わった。
翌朝は、日が昇る前に起きて浜辺に出た。まだあたりは薄暗い。
アラビア海に、ざざざーっと波が打ち寄せる。
暗いけれど、波の白さだけはよく見える。
潮風に吹かれながら海に足を踏み入れる。
夜明け前のこの時間はすばらしい。少しずつ射す曙光を浴びて静寂な時を味わった。
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浜辺を歩いていると、遠くに人影が見える。じっとして動かない。
なんだろう、夜明け前の瞑想でもしているのかな……。さすがはインドだ。
近づいてみると、七十歳くらいの老人が海に向かってしゃがんでいた。
老人の隣に、なにやら大きな影がたたずんでいる。人の二倍以上はある大きさだ。
ん? いったいなんだろう?
近づいてみるとわかってきた。
それはブタがじっと佇んでいる姿だった。イノシシのように黒くて大きい。
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なにやらじっと待ち構えている様子。
老人が大きく身をよじり出す。
ブタは、「待ってました!」とばかりにバクバクと食らいつく。ものの数秒で食べ尽くす。そして次を待つ。
これは、ブタにはできたてほやほやの御馳走なんだなぁ。ブタの食欲には驚いた。
悠久の大海を眺めながら用を足すのは、理にかなっている。
なにより気持ちよさそうだ。終わったら、波がお尻をきれいにしてくれる。
排泄物は波がさらっていく。ときには、こうしてブタが喜んで食べ尽くしてくれる。
そのブタを人間が……。こうして、うまいこと循環しているんだ。
ざざざーっと私の足元を波がさらう。やがて水平線から朝日が昇ってきた。
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そのまま浜辺をしばらく散歩した。
日が昇ると人が集まってきて活気を呈してくるのが面白い。
やがて、村の男たちが船を出して引っ張ってゆく。海に乗り出す。
これから漁に出るのだ。
男たちは痩せて筋張っているが、鋼のような体だ。
荒波に向かっていく勇壮な姿に触れる。
さらに日が昇って明るくなると、地引き網が始まる。
男たちは漁に出ているので、残されたじいちゃん、ばあちゃん、妻、子どもたちが総出で網を引いている。
いろいろな魚がごっそりと捕れる。魚は自分たちの食事にしたり、道で売るのだろう。
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さらに、散歩を続けていく。
すると、ギャー、ピーと騒がしい音がする。
振り返ると、二人の男が棒を担ぐようにして走ってくる。
棒の下には四肢を縛られたブタが泣き叫んでいる。
ブタは放り出される。村人たちが集まってくる。
数人の男たちが大きな棒でブタを殴り、絶命させる。
薪に火がくべられ、ブタの丸焼きが始まった。
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もしかして、このブタは明け方に見たあのブタかもしれない。
人の排泄物をブタが食べ、そのブタをこうして料理されて村人が食べることになる。
「排泄」という「生」の営みから始まり、ブタの「生」を支え、最終的に村人の「生」に還元される。
排泄と食事、労働と殺生、生と死。それらが同じ浜辺の上に同時に存在する。
静かな朝の浜辺が、こうしたすべての営みの舞台であった。
すごいな、ダイナミックな命の循環。さすがインドだ。