過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【①東インド プーリーへの旅】2026.1.20

【①東インド プーリーへの旅】2026.1.20

東インドの喧騒と灼熱に包まれたカルカッタコルカタ)を脱出しよう。
今度は海の見える場所がいい。浜辺を眺めたり、泳いだりして過ごしたい。

穏やかな村、そしてヒンドゥーの聖地がいい。長期のバックパッカーが沈没(長期滞在)する場所としても有名な場所だ。ということで、プーリーがよかろう。

プーリーは、オリッサ州(オディシャ州)の海岸沿いにある。インド八大聖地の一つであり、ベンガル湾に面した美しい海岸を持つ漁村だ。 安宿も多く、居心地がよさそう。

物価が安く、魚介類が豊富で(特にエビのフライなどが有名)、穏やかな地なので、長期滞在のパックパッカーが多い。朝、海岸へ行くと、伝統的な丸太舟で漁に出る漁師たち見られるなんてすてきじゃないか。

インドの宗教に惹かれている私には、ヒンドゥー教の聖地というのがポイントだった。

ヒンドゥー教の四大聖地(ダーム)の一つで、宇宙の主ジャガンナートを祀っている寺院(ジャガンナート・テンプル)がある。また、13世紀に建てられたスーリア・テンプル(Konark Sun Temple)というインドでも指折りの壮麗な寺院があるという。
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そんなプランができたところで、カルカッタの街を歩いていると、おずおずと声をかけてきた二十代の青年がいた。

「あのぉ、日本人ですか?」
「そうだよ」
そう答えると、彼は心底ほっとしたような顔で微笑んだ。

 「切符の買い方がわからなくて困っていました。カルカッタからどこにも行けなくて……」 
「ああそれなら、これからプーリーに行くから一緒に行こうか」
 誘うと、彼はたいそう喜んで「一緒に連れて行ってほしい」という。
聞けば、和歌山の銀行を退職し、「次の仕事に就くまでの間にインドをひとり旅しようと決めた」のだという。

私自身もそうだが、これからの人生をどう生きるべきか、自分のやりたいことを見極めるためにインドを旅する青年は多かった。

そんな彼らとインドの旅の度重なる失敗談や日本の仕事での苦労話、これから挑戦したいことなどを語り合うのは、とても楽しいものだ。「善は急げ、出発は明日」とした。
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さて、まずは駅で二等寝台席を予約しなくちゃいけない。当時は列車の予約だけでも一苦労だった。 

まずは時刻表を買うのだが、印刷は不鮮明で紙質も悪く、おまけに内容が不正確。停まるはずの駅が記載されていないことすらある。
 最後は「いちかばちか」だ。
なんとか目星をつけた列車の切符を買うため窓口へ行く。すでに50人ほどの行列ができている。じっと待ってようやく自分の番が来たと思えば、「隣の窓口へ行け」と冷たくあしらわれ、また並び直し。
現代のインドではスマホ予約が主流だが、当時はこれだけで一日がかりだった。

こうして寝台特急の乗車券(夜行急行 :Hwh Puri SF Exp 22:30〜07:30 約9時間)をなんとか手配した。夜行の寝台で移動して、朝方にプーリーの駅に滑り込み、そのまま漁村の爽やかな空気を感じるという流れだ。

インドの列車は1〜2時間は平気で遅れる。時には半日以上も遅れる。
何が起きるか分からないので、出発の1時間前には駅へ向かった。 ゲストハウスから駅までは人力車(リキシャ)を頼んだ。70代とおぼしき老人が、裸足で力強く車を引く。

通りは凄まじい雑踏で、人がひしめき合っている。 さすがはインドだ。道端ではヨーガ行者が土の中に頭を突っ込んで逆立ちのポーズをとっている。

いたるところに牛がゆったりと歩き、車がその間を縫うように行き交う。溝では豚が餌をあさり、痩せて肋骨の浮き出た犬たちが群れ、猿やリスが駆け抜ける。混沌そのものの風景を眺めていた。(続く)