過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「あたりまえ」2026.1.10

「あたりまえ」2026.1.10

ポータブルトイレに用を足している時、「あたりまえ」という言葉が浮かんだ。
排泄できるのは「あたりまえ」。健康は「あたりまえ」。大学に行ったのも「あたりまえ」。会社員として給与をもらえたのも「あたりまえ」。こうして平和に暮らしていることも、すべて「あたりまえ」として生きてきた。
しかし、健康を失って、すべてが「あたりまえ」ではなかったことに気づいてきた。

病気になると、まったくパフォーマンスが落ちる。
ちょっとした事務的な仕事でも、ホッチキスや封筒を取ろうと立ち上がって歩くことすら、もうしんどくなってきている。かろうじてパソコンに向かって原稿を書くことは今のところ可能だけど。
今や歩くこともままならなくなってきた。数歩歩くだけで、動悸と息切れがして気持ちが悪くなってくる。トイレで用をたすのも大仕事だ。
仕事もできなくなった。なんとか暮らしていけるかと思いきや、先行きが不安になってきた。

「あたりまえ」のことが「あたりまえ」ではなかった。
それはいつ崩れるかわからない現実であった。
健康や日常の平穏が、実はとても脆い基盤の上に成り立っていた。

これは「嘆き」だけでも「告白」だけでもない。
感謝に回収しない。安易に教訓や悟りや気づきにまとめない。
「いつでも崩れうる」という事実を、そのまま言葉にしようとしている