過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【身体知としての曼荼羅】2026年1月9日

【身体知としての曼荼羅】2026年1月9日

インドの魅力の一つは、仏教の源泉や原風景を見ることができることだ。
何といってもインドはブッダが生まれた地であり、ブッダの教団が継承されてきた土地である。

インドは独特の歴史の刻み方をしており、ブッダが歩いた道が今も存在している。
それは単なる遺跡ではなく、人々の日常の暮らしの中に息づいている。歴史が過去のものではなく、現在に溶け込んでいるのだ。
歴史が「地層」として積み重なるのではなく、すべてが「表層」に同時に混沌として存在している。
2500年前のブッダの時代と現在が、同じ空間に息づいているのだ。

例えば、ブッダが初めて説法をした地であるサルナートなどの道を歩けば、サリーやドーティを着た人々が行き交っている。まさにブッダがそこを歩いていてもおかしくないような風景が、今なお残されているのだ。
そうしたブッダの生きざまの原風景に出会うことができる。
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ブッダの教えの基盤にはヒンドゥー教がある。
仏教が生まれる土台にはヒンドゥー教があった。
仏教はそれまでの宗教的なシーンから、まったく独立した教えではない。
仏教は後世大乗仏教へ、そして密教へと変容していく。

密教に見られる儀式や思想にも、インドにその原型がある。
ヒンドゥー教という土壌から生まれ、後に密教として再びその源泉と深く結びついた、一つの大きな精神的流れの一部ととらえることができる。
それを実際に目にし、そして体験した。
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例えば、密教の主要な要素として、曼荼羅マントラ真言)、ムドラー(印)がある。
そのなかで、曼荼羅についてこんな体験をした。

ヒンドゥー教の僧侶と共に、南インドケララ州)のヒンドゥー寺院を参拝したことがある。
その時、寺院での正しい礼拝の方法を教えてもらった。

まず、寺院にはいきなり入らない。
その周囲を右回りに一周して礼拝し、その後にはじめて境内に入ることが許される。

境内にはいくつかの分院があり、それぞれを礼拝する。
分院ごとに右回りに回って中に入る。分院の内部には神像が安置されており、その周りも右回りに回りながら像に礼拝する。
次の分院、その次の分院と、四つの分院を同じように礼拝して回る。

そして、ようやく本堂を礼拝することになる。本堂の周りでもやはり右回りに回る。
その過程で私はあることに気がついた。
「これはまさに、金剛界曼荼羅のような礼拝の動線ではないか」と。

曼荼羅を「絵」として、あるいは抽象的な宇宙図として理解していたのに対し、実際にその空間を身体で歩くことで、曼荼羅が単なる図像ではなく「動く宇宙」「礼拝の道筋」であることが体感的に理解したのだった。
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また、火の儀式に参加したこともある。インドでは「ヤッギャ」(犠牲・供養儀式)あるいは「ホーマ」(火に供物を捧げる儀式)と呼ばれる。
ホーマは「護摩」と漢訳され、日本の密教でも盛んに行われている。

中央には「ドゥーニー」という炉が設けられ、火が焚かれている。
日本では一人の阿闍梨が印を結び、真言を唱えるが、インドでは参列者全員が炉の周りを囲んで儀式に参加する。参列者が多い時は二重、三重の輪になる。私が参加した時は総勢100人を超える規模だった。

アラティ(灯火を神に捧げる儀式)とバジャン(祈りの歌)や神の名を繰り返し唱えるキルータン(賛歌)が歌われる。

僧侶(シャストリジ:シャーストラ経典に通じた人)が神の名を唱えると、招かれた神が炎の中に降りてくる。炉を囲んだ参列者は、神に供物を投じる。

その時、「スヴァーハ」(Svāhā)と唱える。この「スヴァーハ」は、『般若心経』の最後にある「娑婆訶」(そわか)である。

この火の儀式は約二時間続く。共同体的な熱気と、神が炎に降臨するという生々しい信仰の姿に、密教の原初的なエネルギーを感じる。密教が持つ本来のダイナミズム(生命力)を浮き彫りにする。
儀式の目的は願望達成のためだが、参加していると、行為そのものが身・口・意を浄化していくような実感があった。

儀式に参加していた私は、これを上空から見下ろせば、「まさに胎蔵界曼荼羅のようだ」と実感したのであった。

ここでも曼荼羅は静的な図像ではなく、人々の身体と祈りによって立ち上がる生きた空間となる。
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このように密教儀礼の空間的・宇宙的意味が体験してみて、理解されたのである。

マントラ真言)とムドラー(印)についても、その源泉に触れる体験があったが、それはまた別の機会に書きたい。

「空間(曼荼羅)」の体験に続き、次は「音」や「形(身体技法)」がどのようにインドの源泉と繋がっていたのかというところだ。