【もう少し行くと幽冥界】2026.1.8
「死にかけた記録」ではなく、「死に近づいたときに、人の意識がどのような質感を帯びるのか」の記録。
遅い時間に朝食をとり、配食の弁当も遅くなったため、続けて昼食を食べた。結果的に食事のボリュームが増えてしまった。食べ過ぎたためか、お腹が痛くなり始めた。
最初は腎臓のあたり、次にみぞおちの辺りがチクチクと、まるで錐で刺されるように痛んだ。
身体が発する言葉をさがそう。痛みの地図さがし。痛みを「身体の言葉」として解読しよう。
痛みを意識して観察しよう。痛む場所や痛みの質に注意を向け、和らげよう。
すると、痛みの位置が移動していくのはわかった。
だが、痛み自体は消えない。
やがて臓器そのものが痛みだした。鈍く重く響くような痛みだ。痛む場所は少しずつ変化し、痛みの段階や質も変わっていく。「臓器にダメージが及んだらどうしよう」という不安がよぎった。
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しばらくすると痛みは引いた。しかし今度は、頭に酸素が行き渡らないように感じ、意識が遠くなっていく。
かなりの低血圧だろう。おそらく上(収縮期血圧)は80を下回っている。これは危険な状態かもしれない。体が動かず、意識が薄れる。体は冷たくなり、意識は次第に遠のいていくような気がした。
低血圧による脳貧血だろうか。おそらく食べ過ぎで胃腸に血液が集中し、脳への血流が不足してしまったのだろう。
不思議と、ふわっと少し気持ちのよい感覚もあった。すーっと意識が遠のいていく感覚は、どこか心地よくも感じられる部分があった。
死の恐怖と同時に、どこか「安らぎ」の誘惑が同居しているといおうか。恐怖と安らぎ、拒絶と受容が同時に存在する。
「このまま行けば、死に至るのかもしれない。このまま冥界へ行ってしまうのかもしれない」と少し恐れを感じた貴重な体験だった。
死に至る過程には、こうしたプロセスがあるのかもしれない。生と死の境目を、取り返しのつかない一回性としてではなく、かすかに予行演習のように感じていこうとしていた。
まるで「模擬試験」のような感覚を味わった。
それは「受容」や「安らぎ」の入り口を、軽微な低血圧という形で垣間見たかのようである。
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「いけない、いけない」と、意識を呼吸に戻そうと努めた。そうしているうちに、いつの間にか眠り込んでしまったようで、気がつくと17時になっていた。布団をかぶったまま、ずっと寝たきりだった。
外は風が吹きすさび、冬の風が打ちつけている。トタン張りの小屋の屋根がバタバタと揺れる音がする。室温は11度。死の淵のかなり手前から戻った意識が最初に認識するのが、この寒々とした「生の現実」だ。
血は引いて 意識遠のくばかりにて も少し行けば幽冥界
血は引いて 意識遠のくばかりにて 幽冥界をさまよわん