過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【人生と相談、そして厳粛な委任 タペストリー】2026.1.7

【人生と相談、そして厳粛な委任 タペストリー】2026.1.7

これまでの人生って、人と相談をしながら進めてきただろうか?
誰かと相談して決めてきたかというと、あまりしてこなかったような気がする。

少ない情報のまま、ひらめきや直感だけで決めてしまっていたかも。
いわば「思い込み」で決断した。だから、後になって「しまった」ということも多かった。それはたくさんある。
人生の岐路に立ったとき、相談せずに一人で決めてきたように思う。
大学選び、会社選び、会社をやめて独立、田舎暮らし、デイサービスの経営、いろいろと。
どれも一人で決め、背負い、進んできた道のり。
その一つひとつに、たいへんな覚悟と孤独があったろうなあと振り返る。
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相談できる相手があまりいなかったようにも思うし、そもそも相談して決めようという姿勢はなかったかも。
両親とは相談する気があまりなかった。そもそも実家に帰ることがほとんどなかった。

親は頼りにならない、相談してもあまり意味がないと、初めから決めつけていた部分があった。
親からすれば、もっと相談してほしかったろうなあ。寂しかったといまになって気がつくよ。
いまはもう両親はこの世にいない。
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相談していくと、新しい気づきや視点が生まれる。
客観的な見方ができ、安心感も得られる。そうした良さもあるのだとわかってきた。

人生において、相談できる相手がいるかいないか、相談して決められるかどうか──その違いは大きいと思う。
人生行路では岐路がたくさんある。
自分のひらめきや思い込みだけで動くと、やはり失敗することもある。後悔することもある。

もし誰かに相談していれば、新たな視点が得られ、自信を持って前へ進めたかもしれない。あるいは、引き返すという選択がもっと早くできたかもしれない。
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相談とはたんに答えや助言を求めるだけではない。
考えを整理し、時には「進む」以外の選択肢にも気づかせてくれる。
正解を探す作業ともいえるが、「自分の外側に鏡を置くような作業」ともいえる。
一人で考えていると主観の迷路に迷い込みがち。
誰かに話すことで自分の声が自分に届くようにもなる。
一人で抱え込まなくていいんだという安心感も大きい。
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かなりの晩婚(62歳)ではあるが、結婚してからは妻といろいろなことを相談しながら進めてきた。
そもそも子どもが生まれるということは、相談して決めた。結婚そのものもそうだ。

いやそうじゃないな。
それは、決める決めないという次元じゃない。
神さまのはからいとして子どもはやったきた。だから、こちらの意思はないも同然。
「子どもを授けるから、ちゃんと育てよ。そのことで人生を学べ」
そういう神さまからの託宣のようなものだった。

託宣と言うか、相談の対象が「他者」から「神」あるいは「運命」へと拡張された次元というか。

それは、いわば神や運命、宇宙からの「厳粛な委任」のような。畏敬、そして生きる覚悟を託された。
大きな運命のうねりに身を委ねる時の「降伏」と「誇り」。
surrenderあるいは、明け渡し。

これまでの「一人で決める」人生から、突然「委任される」人生へ。
相談の相手が、人間から神、運命、宇宙へと広がった瞬間。
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まあこうして書いてみると、それは「ひとつの物語」だ。
自立と孤独、関係性の希薄さと深さ、後悔と気づき、意思と宿命。偉大なものからの厳粛な委任。

そういった人生の根本的な対極が織り込まれ、一つの深く豊かなタペストリー。
「一人で決めてきた人生」から「委ねられ、引き受ける人生」への移行を描いた、静かな神話みたいだ。

いろいろ詰まっているなあ。さらに探求していく。物語を織り続けてゆこう、紡いでいこう。