【上司と評価の関係】2026.1.6
「お前、おれたちに話すときの言葉の響きと、営業所長に対するときの言葉の響きが違うぞ」。
先輩が言った。
そう言われて初めて気がついた。
サラリーマン時代、首都圏の営業所で営業をしていた。20代の頃である。
営業所の社員は8名。サラリーマンだから、「営業所長からの覚えがめでたくなくてはならない」という意識があった。
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無意識に行っていた、いわば「生存戦略」が、第三者には明白だったというわけだ。
営業所長へのリスペクトもあったのだろうが、やはり上司に評価されなくてはという思いが強く、先輩に対する口のきき方とは全く違っていたようだ。声の出し方さえ違っていた。
浅はかなサラリーマンだったなぁと、いま思うよ。
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私の人生は、評価されることをとても気にする人生であった。
特に権力のある者、上に立つ者から引き上げてもらおう、覚えめでたくあろうという気持ちが強かったと思う。
それがうまくいく場合もあるが、そのことで同僚から「おれたちを見下している。上昇志向だ」と、何か気に食わないものを醸し出していたかもしれない。
ただ、私は天然の失敗をよくする存在だったので、皆からいじられ、いつも話題になる存在でもあった。まあ、潤滑剤のようなポジションではあった。
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そういう自分の生き方を振り返ると、一つは父親との関係にあると思う。父親との関係はあまり良くなかった。
父親に評価されているとは思っていなかったし、コミュニケーションもうまく取れなかった。
父親に評価されたいと思う反面、父親もコミュニケーションが下手で、私の良さを十分に認めてはくれなかった。
その辺りのズレが常にあった。
ある時、「どうせ評価されないなら、評価されようと思うから疲れるのだ。評価されることを求めるのをやめてしまえばいい」と思うようにした。
それで気が楽になったことがある。
しかしその結果、父親とのコミュニケーションはさらに断絶していった。
「評価されなくてもいい」という気持ちは「気が楽になった」ものの、それに続く断絶の寂しさの両方がにじむ。
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そのような不十分な「権力ある者との関係性」が、組織の中でも疑似として反復・再現されていく。
すなわち、父親的な存在は、上司であり、権力のある者であり、営業所長であった。
そして、その関係性がいつもうまくいかないような宿命があったように感じる。
これは、幼少期から続く「承認欲求」の傷に根ざした、切実な叫びであったのかもしれない。
無意識のうちに、幼少期の重要な関係性のパターン。
その後の人生の権威ある人物との関係で繰り返してしまう。
そういったコミュニケーションの取り方がある。
そのことは、サラリーマン時代にはよくわからずに過ごしてしまった気がする。