過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【②学びの多様性と自己発見の重要性】2026.1.6

【②学びの多様性と自己発見の重要性】2026.1.6

私は37歳までサラリーマンだったため、自立して事業を営むという考えが全くなかった。
安定した企業に勤め、「そこで頑張れば何とかなる」という考えで過ごしてきた。

だが、組織の中では、評価されなければうまくいかない。自分の力を十分に発揮できない。
だから、「やっている感」を出して努力するようになっていく。
そのため、意識的あるいは無意識に「他人からの評価」を気にして仕事をする。

しかし、その評価はアテにならない。他人の評価を基準にした仕事に、楽しさを見出すことは難しい。
評価する上司自身もまた上位者から評価されるという構造が存在する。
社長もまた、オーナー経営者ではないので、株主総会を乗り越えれば安泰という感じであった。
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自分はサラリーマンには向かない。会社を辞めてフリーランスになってから、気がついた。

いろいろ試行錯誤して、編集の道を見出した。仏教という自分の力を発揮できる分野であり、自由に、恐れることなく進むことができた。好きな仕事だったので、人的ネットワークもひろがっていった。

フリーランスになったのは、「評価される客体」から「価値を創出する主体」 への、根本的な意識(マインド)の変革ともいえる。
偏差値レール上の人生は、他人によって書かれたシナリオを演じる物語。
一方で、実践的な学びやフリーランスとしての道は、自分自身で筆を執る物語。
その物語の主役であることは、けっしてラクではないが、自由な喜びがある。困難と喜びがある。

自分が得意なこと、力を発揮できること、好きで工夫せざるを得ないこと、学びが深化していくものを見つけたら強い。なにより若いうちから。
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ところが、偏差値教育の中で「良い大学・良い学校に入れば安心」という考え方で学んでいると、自分が好きなことや得意なことを極めることが二の次になる。
他人が一流と認める世界に身を置けば安泰だ、という生き方になる。

しかし、それは後々になって自分に返ってくる。
ラクしていた分、後に自分を苦しめることにもなる。
今の自分を苦しめているのも、ひとつはそのためだ。まあ、それも仕方のないことだが。