【引き算と足し算の実践道】 2025.12.23
「足し算」と「引き算」という観点から、ざっくりと眺めてみる。
足し算は、加えていく。引き算は、削ぎ落としていく。
どちらも豊かさへと至る道である。
ブッダは引き算。インドのヒンドゥー教は足し算。
テーラワーダ仏教は引き算。大衆部やアビダルマ仏教は足し算。
大乗仏教は足し算。禅は引き算。
道元や親鸞は引き算か。日蓮は足し算だろうか。少しわからない。
ヴィパッサナー、禅、茶道、生花、利休。これらは引き算のようだ。
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人生には、足し算の時代と引き算の時代がある。
今の私は、どんどん引かれていく、削ぎ落とされていく。
しかしそこに、実は豊かさがある。そう思い定めようとしている。
足し算をしていくこと——知識や物や仲間が増え、お金が増えていく——それもいい。それも魅力だ。そして、引き算もまた魅力である。どちらも味わい深い。
宇宙も膨張しては収縮し、膨張しては収縮する。人生もそうだろう。
今は削ぎ落とされていく時期だ。足し算は終わり、落ち着く作業、収縮していく時である。
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「ああ、こうしたい」と思っても体は動かない。物理的に動かないから、諦めざるを得ない。「まあ、無理だなあ」とすぐに諦めてしまう。判断の絶対基準は、「身体が動くか、元気があるか」だ。
身体が動かず元気のない今の状態で、何が楽しめるのか。そこへと向かう。
すると、結局はひたすら寝転がり、呼吸に意識を向けるしかない。
ただ、様々に考えを巡らせ、文章に表し、発信する喜びはある。AIを使って考え、問答していく喜びもある。足したり引いたり。
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『ダンマパダ』に、「この体は土でできた器のように壊れやすい」とあったと思う。この肉体は、あっという間に壊れていく。若く、元気だと思っていたが、もう簡単に壊れ始めている。
医者が薬を飲めと言っても、「なあに、大したことはない」と思っていた。
ところが、かなりの速度で肺がダメになっている。どんどんフェーズが変わり、台所に行こうとして、「ああ、もうだめかも」と感じる。だから、寝たきりだ。寝ている分には何とかなる。動き出すと、苦しくてたまらない。
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治るかもしれないし、ますますひどくなるかもしれない。この状況がいつまで持つかもわからない。今が一番元気で調子が良い時かもしれない。わからない。
まあ、仕事もあるので、やれることは集中してやっていくしかない。
あとはひたすら呼吸に意識を向けている。せめて筋トレと瞑想を兼ねて、6メートルの廊下をゆっくり歩く。「上げる、運ぶ、下ろす」。ひたすらそれだけだ。瞑想を試みている。
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アチャン・チャーの「歩け、歩け」の瞑想。
うん、それだな。全く歩いていないので筋肉が落ちている。
しかし、歩けるかな。せめて家の中で歩こう。南側の廊下は6メートルある。そこをゆっくりと、何往復もしてみよう。
「足を上げる、運ぶ、下ろす。止まる。回る。踵を上げる、運ぶ、下ろす」。
ひたすらそれだけに徹する。これがまた、かなり敷居の高いこと。
呼吸と一歩一歩——それこそが、今の自分に与えられた、最も崇高で具体的な「引き算の豊かさ」への実践道と。