【②イスラムとの出会い】2025.12.3
「インドネシア人家族との時間」
ハラール食品工場の用地を探していたインドネシア人の家族を、車で案内していた。礼拝の時間が来ると、彼らは言った。
「すみません、ちょっと止めてください」
車を路肩に停め、全員が降りた。長衣を整え、トランクから礼拝用の絨毯を取り出し、スマートフォンのコンパスでメッカの方角を確かめる。アザーン(礼拝の呼びかけ)やクルアーンの朗誦を流しながら、家族全員が地面に並んで礼拝を始めた。
どんな気持ちで礼拝するのかと尋ねると、彼らはこう教えてくれた。
「今日、体や服に不浄なものは触れていないか?」
「自分の行いは正しかったか?」
と、自分自身に問いかけるのだという。
その姿は、まるで武士道のようだと感じた。
イスラームの礼拝(サラート)の本質である「タクワー(神への畏敬・精神的緊張)」は、自分自身に対して極めて厳しい。
礼拝は単なる儀礼ではなく、倫理的な自己検証と精神の再構築の場であり、内省と鍛錬の機会なのだ。毎日の行為を通じて自らに問いかけるという実践が、精神を研ぎ澄ますのであろう。
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「世界中に広がる規律」
世界中の13億人以上のムスリムが、1日5回、ほぼ同じ時間帯(時差はあるが)に、メッカを向いて同じ所作で祈りを捧げる。この「全世界同一の規律」が持つ力は、圧倒的だ。
どこにいても、1日5回、礼拝という形で自分がムスリムであるというアイデンティティを再確認する。揺るぎない日常のルーティン(五回のサラート)と、どこにいてもメッカを向くという「全世界共通の座標軸」。それが個人の帰属意識を鉄のように強固にしている。その精神の強靱さと、規律の徹底ぶりには、ただ驚くばかりである。
時差を超えて同期する礼拝、全く同じ方角と所作。これは、地理的・文化的に離散した「イスラーム世界(ウンマ)」という共同体を、物理的に、そして毎日五回も再生産する強力な装置だ。「我々は一つである」という共同体意識を、不断に形づくっている。
個人は、この広大なネットワークの中に、自らの確固たる位置を見出す。「イスラームはなぜ強いのか」という問いに対して、教義論ではなく、日々の実践が織りなす社会的・精神的システムとしてとらえられる。
イスラム教が1400年を経ても勢力を失わず、むしろ増え続けている理由が、ここにあるように思える。