過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【シャンティの降ってくる瞬間】2025.12.2

【シャンティの降ってくる瞬間】2025.12.2

不安・希望・偶然の出会い・土地の匂い・旅の自由が、ひとつの線の上に滑らかに並んでいる。なにがあても、シャンティ、シャンティ。
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グル・ナーナクシーク教創始者)の誕生日や、聖者・女神の祝日が続いていて、街中が人で溢れかえっていた。

ヒマラヤのほうの村へバスで行こうとしたのだが、あまりの人の多さに乗ることができなかった。

仕方なく近くの公園で野宿することになった。眠らないと体が持たない。でも眠りこけてしまったらリュックやお金が盗まれるかもしれない。

ゲストハウスなんてない田舎だ。かなり不安で、絶望的な状況だった。

そんなとき、一緒にいた西洋人が「どんなことがあっても〝シャンティー、シャンティー(安らぎ、安らぎ)〟だよ」と優しい笑顔で言ってくれた。それがすごく励みになった。

まるで小さな灯りのように闇を照らしているような響き。困難の中であっても「そうだよな」ことに気づき、そこに身を委ねられる「軽やかさ」。

人生って、何が起きても「シャンティー・シャンティー」なんだな。マインドフルに、幸せに生きられる——今でもあのときのことをよく思い出す。
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シャンティは漢訳すると「寂静」になる。「涅槃寂静」などに使われる言葉だ。でも「寂静」という響きは、どうしても重たい。「じゃくじょう」という発音も重い。やっぱり「シャンティー」のままの軽やかな響きがいい。

状況が整ったときに訪れる静けさではなく、状況が整っていない時にこそ、ふっと胸の奥から湧き上がってくる、あの“軽さ”そのもの。風みたいな静けさ。
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翌日は、温泉のある村にたどり着いた。川に温泉が湧いていて、地元の娘さんたちがそこで洗濯をしている。山の地域だから肌の白くて可愛い女性が多くて、それを眺めながら喫茶店でぼーっとしているだけで、まことに〝シャンティー、シャンティー〟だった。

早朝6時ごろ、お寺の地下が温泉になっていて、地元のインド人たちに混じって入浴する——そんな珍しい体験もした。レストランに行ったら、何も頼んでいないのにマリファナのパイプが回ってきて、旅行者たちと一緒に吸いながらレゲエを聴いていた。まさに〝シャンティー、シャンティー〟な暮らし。「これが桃源郷か」と思った。すべてが“無理なく自然にそこにあるという感じ。
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「追い詰められた状況」と「恵まれた瞬間」がひとつの流れの中で自然に切り替わっていく、呼吸のようなリズムで。旅の最高の瞬間って、こういう「シャンティー」が降ってくる瞬間だと思うよ。