過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【②サイババ訪問記】2025.12.2

【②サイババ訪問記】2025.12.2

翌朝には何とか体も回復し、サイババのダルシャンに参列することになった。

数千人がトークン順に座って待つ。

それぞれサイババに手渡す手紙を持っている。ダルシャンの時に、その手紙を直接サイババに手渡せるのが目的だ。手紙を渡すときにサイババと目が合うし、「インタビュー・グループ」に呼ばれて別室で面談できることもあると聞いた。

ダルシャン会場(マンダールと呼ばれる建物内)はすごい人数だった。おそらく1万人余はいたであろう。参加者はインドだけでなく世界各国から来ているのだ。

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30分ほど待っていると、突然バジャン(聖歌)の音楽が鳴り響く。はるか向こうの入り口からオレンジ(正確には赤橙色)のローブを着た小柄な人物がゆっくり歩いてくる。それがサイババだった。

サイババは参加者の間をゆっくり歩く。人々は必死に手紙を差し出す。サイババは受け取ったり、声をかけたり、ときにはビブーティ(聖灰)をその場で物質化して渡したりする。

私も手紙を差し出したが全く目も合わず、もちろんインタビューにも呼ばれなかった。

ダルシャンは当時、朝と夕方の1日2回あったが、数日滞在しても結局一度も目が合わなかった。

マザー・テレサとの出会いとは、なかなか対照的だ。

マザーは下駄箱のそばで祈っていた。サイババは初めから特別なグルとして現れる。熱狂で迎えられ、数千人の視線を集めて歩いていた。そして、マザーは相手を選別しないが、サイババは選別する。

マザーは誰にでも同じようにメダイを手渡した。サイババは選別的に声をかけ、物質化を行った——「選ばれる/選ばれない」、この違いも印象的。

サイババはすべてが演出された「見せる聖性」であり、マザーは「見せない聖性」。

マザーは誰もが「気づかない」存在だった(気づけば誰にでも開かれていた)。
サイババは誰もが「見ようとする」存在だった(しかし目を合わせてもらえない人もいた)。

見られることを求める構造 vs 見られることを求めない在り方の違い。

サイババのアシュラムは、組織化され、システム化され、ショー化された聖性。

まあしかし、この多様性こそがインドの魅力ではある。

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アシュラム自体は居心地が良かった。

カンティーン(食堂)のご飯はシンプルだが美味しかったし、世界中から本当に様々な人が集まっていた。バックパッカーも多かったし、日本では90年代後半~2000年代初頭の熱烈なサイババブームで、ツアー客もたくさん来ていた。そういう人たちとの出会いも楽しかった。

私の隣にいたのはスペイン人の男性だった。スペイン語は歌謡曲で覚えた「コモエスタ・セニョール。コモエスタ・セニョリータ」くらいしか知らなかったけど、それを発音すると相手がびっくりしていた。

発音がかなり正確だったらしい。私はそのことに驚いた。

日本語もスペイン語も母音で終わる言語なので、日本人にはスペイン語の発音が比較的やりやすいのだとわかった。それで「英語が苦手でも他の言語ならいけるかも」という自信が少しついた。

他にもドイツ人、オランダ人、フランス人などと片言の英語で話した。みんな英語がネイティブじゃない者同士なので、変な間違いをしても全然気楽だった。それがアシュラム滞在の楽しさの一つだった。(次号に)