過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【①サイババ訪問記】2025.12.1

【①サイババ訪問記】2025.12.1

フリーランスの仕事だったから、時間に余裕があった。

暇を見てはインドによく出かけた。

この時のインドの旅は、いろいろなグルやアシュラム巡りであった。

アンマ(マータ・アムリターナンダマイー)、ラマナ・マハリシ、オーロビンド、ムクタナンダ、OSHOのアシュラムなどを訪ねるものであった。

なかでもサイババのアシュラムを訪れるのが大きな目的であった。

当時は、日本中が「サイババ!物質化!ビブーティ(聖灰)!」と沸いていた。テレビも雑誌も本もサイババを取り上げていた。

旅行会社はサイババツアーを企画すると大勢の人が参加したがっていた。

私は物質化もビブーティも感心はなかった。ただ、サイババの著作は読んでいた。「古代のヴェーダ智慧と儀式を復権させるのだ」という内容は、深く頷くものがあった。

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ところが、サイババのアシュラムを訪ねようとした時、体はグロッキーだった。南インドコーチンで海産物を食べたところ、食あたりをしたのだった。

下痢の中、南インドバンガロールからバスで約4~5時間はきつかった。

やっとの思いでプッタパルティ(プリティ・ニラヤム、またはプラシャンティ・ニラヤム)に到着。

サイババのアシュラムは巨大な宗教複合施設であった。

小さな飛行場(スリ・サタヤ・サイ空港)があり、総合病院(スーパースペシャルティ病院)もあり、サイババが設立した大学(スリ・サタヤ・サイ高等学園)もある。

おそらく数万人が滞在していた。

飛行場、総合病院、大学、数万人の滞在者。カルカッタのマザーの質素な施設とは規模も性質も全く異なるものだ。

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私は初訪問で登録をすると、外国人専用の大きな舎房(シェッド)のマットレススペースを割り当てられた。食あたりでお腹の調子も悪く、ほぼ動けない状態だった。そのまま横になって食事もできなかった。

その深夜のことだ。

突然、周りで叫び声がしたり、どやどやと人が走り回る足音がする。

「うわっ、なにがあったんだ?」

なんだか異臭がした。隣のマットレスから煙が出ていた。気づいた人たちが慌てて火を消していた。おそらく蚊取り線香マットレスに燃え移ったのだろう。

私は体調が悪くて全く動けず、ただぼんやりとその様子を見ているだけだった。

後で聞いた話では、そのマットレスには数日前にヨーロッパのある男性が寝ていて、彼はアシュラム内で急病で亡くなったのだという。

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初日から、体調不良、死の気配、火事の騒動。いきなり不可思議で象徴的な状況に放り込まれてしまった。インドの神様が「覚悟はあるか?」って試してるレベルだ。

インドってにこういう「死と生が紙一重」の瞬間を平気でぶつけてくる。インドは、人を迎える時、花や甘い蜜ではなくて、 “混沌と死と試練” を差し出すことがあるんだ。(次号に続く)