【天皇の位牌】2025.11.18
天皇の位牌を間近に拝見したことがある。
それは京都の泉涌寺(せんにゅうじ)の境内のお堂の中にあった。
皇室の「御寺」(みてら)と呼ばれるこの寺は、真言宗泉涌寺派の本山である。
お堂に入らせていただくと、大きな天皇の位牌(高さ30センチ以上)がずらりと並んでいた。
祭壇には過去帳があった。畳半分ほどの大きさだったように思う。
それをめくってみると、すべて天皇の名前が記されていた。天皇陛下が崩御された日付も書かれていた。
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泉涌寺派の宗会議員大会の取材をしたことがあり、その際に、お堂の中へ上がらせていただいたのだ。(実は勝手に入ってしまった。とんでもない不敬かもしれない……)
天皇の葬儀は、現在は神葬祭である。けれども、かつては仏式であった。そもそも、皇室にあっては、神仏は習合していたのだ。
たとえば、東大寺の大仏建立のとき、聖武天皇は自らを「三宝(仏法僧)の奴」と称した。桓武天皇は、最澄の天台宗を重んじた。嵯峨天皇は、空海の真言宗を重んじた。白河法皇などは僧侶の姿で権力を駆使していた。後醍醐天皇は、密教を信仰して加持祈祷を行っていた。
その他、自ら出家したり、政治的理由で出家させられた天皇は、数多くいる。
ゆえに、宮中は神仏習合していたのだ。
「仏教を信じる天皇」というありようは、千数百年にわたって普通であったのだ。
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ところが、明治政府は、天皇を御神体とする絶対主義国家を作ろうとした。
その際、現人神(あらひとがみ)が仏教に帰依していたのでは、体裁がつかない。
そこで宮中においても、神仏分離が行われることになる。
もともと宮中には、皇室の仏壇や位牌もあった。仏壇が処分されたかどうかは、わからない。では、位牌はどうしたか。焼却するわけにはいかない。
なにしろ天皇の位牌である。そこで、宮中にあった位牌は、泉涌寺に移されることになった。明治6年のことである。
いわば「天皇とは何か」を、国家として根本から再定義する作業だったともいえようか。
今の上皇が大嘗祭で即位の儀式を終えると、伊勢神宮に参拝された。その後、この泉涌寺にも参拝されたのであった。
「天皇制とは何だったのか」
「明治の国家化とは何を壊し、何を残したのか」
「國體とはなにか」
そういうことを考えるきっかけとなった。