過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【①なにが好きなのかわからない時代】2025.11.14

【①なにが好きなのかわからない時代】2025.11.14

サラリーマン時代。この会社がダメなら、また別の会社へと移ればいいと考えていた。
大企業にいると、営業から管理部門まで、いろいろな仕事を任された。大阪ではピアノを売り、山陰ではボイラーや風呂桶を売り、東京ではカセットテープを売った。日本橋で貿易も担当し、海外物流のコストダウンにも携わった。株式の管理業務も経験すれば、株主総会の運営も行った。一部上場企業を三社渡り歩いた。

しかし、常に自分のマインドは「サラリーマン」だった。「サラリーマン」以外の生き方は考えられなかった。14年間もやったよ。

「サラリーマン」は上司の評価が気になる。上司もまた上司の評価が気になる。社長にしても、サラリーマン社長だ。株主総会をどう乗り切るかが大きな課題であった。

そうした他人の評価を気にするのが、まあサラリーマン。いかに「やってる感」をだすかみたいなところもある。そういう世界はいつかはやめて、自分の好きな仕事に打ち込む人生でありたいといつも思ってはいた。しかし、そんな機会はやってこない。

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あるとき、友人の強い勧めで会社を辞め、アートセラピーの立ち上げスタッフとして働いたこともある。けれど、そこは2ヶ月で辞めてしまった。37歳のときだ。

自分はサラリーマンそのものが向いていないと、ようやく気がついた。

とりあえず収入を得るために、塾の教師になろうとした。

面接で社長に「あなたは何でもできそうだし、実際できるだろう。けれど、自分の土俵がないように見える」と言われた。

そうなのだ。大企業にいる間は、言われたことをこなすばかりで、自分が好きで、特定の世界を深めるということはしてこなかった。

はて、いったい自分に何ができるのだろう。

自分の土俵とは何だろう。

そもそも、何が好きなんだろう?

好きなことをしていたら暮らしていけないと思っていたからね。しかし実は、浮きなことを仕事にしたら努力が要らないし、どんどんと工夫するし、自然とネットワークは広がるのだ。それは、あとからわかったことだが。

ともあれ自問自答の時期がしばらく続いた。

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まずは失業手当を受給するため、ハローワークに通い、さまざまな仕事を探してみた。
「おもしろそう!」と思ったのは、松竹の歌舞伎座の小道具係。毎日、歌舞伎の世界にいられるなんて、魅力的に思えた。でも、決心がつかなかった。

陶芸も面白いのではないか。友人の陶芸家が、島岡達三さん(益子焼人間国宝)を紹介してくれると言った。実際に益子まで足を運んだが、やはり自分には無理だと悟った。

塾の社長からは、講師よりも「妻の実家が伊勢志摩で真珠の養殖を営んでおり、養殖管理から銀座の宝石店への販売までを担う仕事はどうか」と誘われた。うーむ、それもおもしろそうだ。

駿台学園が台湾に日本語学校を設立するというので、日本語教師に応募した。
採用され、三ヶ月間北京語と日本語教授法を学んだ。しかし、台湾へ発つ寸前になって、結局やめてしまった。

つなぎとして結婚式の司会の仕事に応募したら採用され、しばらくレッスンを受けたが、続かなかった。