【⑭スマナサーラ長老外伝:ひろさちや対談】2025.11.14
ともあれなんとか対談を終え、文字起こしから原稿を仕上げるまで、5か月かけて完成させた。佼成出版社も「面白いから出しましょう」と言ってくれた。
ところが、初稿をひろさんに持参すると、しばらく目を通した後でこう言われた。
「池谷さん、この本は出したくないんだ」。
「ええ!そ、それは……。この5ヶ月の仕事が無意味になります」
そういったものの、この本は、ひろさんの名声があってこその企画である。スマナサーラ長老はまだ無名だった。大御所のひろさんが「出したくない」と言う以上、引き下がるしかなかった。
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すると、ひろさんはこう言った。
「池谷さんには申し訳ないことをした。だから、わたしの本を作ってほしい。わたしの本とスマナサーラさんの本を別々に作ればいいじゃないか」
──ううむ。せっかくの原稿は無駄になるが、大御所には逆らえない。ひろ先生の意向に沿って動くしかない。
「はい、わかりました」と答えた。
結果的には、この決断が後の編集人生の礎となった。
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そこで、佼成出版社に経緯を報告し、新たに『法華経』の本の企画を提案する。「それでいきましょう」と快諾された。
『わたしの南無妙法蓮華経』というタイトルで、「南無」「妙」「法」「蓮華」「経」に分けて論じる本だった。
以来、法然、親鸞、道元、空海など、ひろさんの本を10冊ほど手がけさせてもらった。そこからまた、講談社やKADOKAWA、PHPへとつながっていった。
一方、スマナサーラ長老の本は『原訳 ダンマパダ』として結実した。後にKADOKAWAから『心に怒りの火をつけない ~ブッダの言葉〈法句経〉で知る慈悲の教え』という文庫本として出版された。
これらも含めて、スマナサーラ長老の本は10冊近くになるだろうか。
こうして「盲蛇に怖じず」で突き進んだことで、私の編集人生はなんとかつながっていくことになる。
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どのように編集を進めたのか。
作業の流れとしては、まずホテルを予約し、そこで夕食を共にしながら語り合う。翌朝9時から夕方まで、ひろ氏の講座を拝聴する形でインタビューを進めた。私が適宜突っ込みを入れる。そうしないと、面白い本にならないからだ。
「いや、そうじゃなくて、こういう意味だ」と叱られながら、話を深めていく。こうした語り合いを都合13時間ほど行い、テープ起こしをしてから編集作業に入るという流れだった。
「私は原稿にいちいち朱を入れるようなことはしない。〝オール・オア・ナッシング〟だよ。OKか、そのままダメかのどちらかだ。だから、ひろさちやになりきって書いてほしい」
ひろさんからはそう言われた。オール・オア・ナッシングでは努力が水の泡になりかねないので、必死になって書いた。そのおかげで、編集力や文章力を磨くことができた。
対談本が頓挫したという挫折——一見すると失敗に思えるこの経験が、むしろひろさんとの長期にわたる協力関係や、スマナサーラ長老の本の出版へとつながっていったわけだ。(次号)