過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【⑬スマナサーラ長老外伝:ひろさちやとの対談】2025.11.14

【⑬スマナサーラ長老外伝:ひろさちやとの対談】2025.11.14

「仏教は宗教である」「仏教は信仰である」と考える人は多いだろう。「仏教は宗教ではない。信仰ではない」と聞くと、驚く人もいる。

だが、ブッダの教えの革命的な点は、「信仰と依存からの脱却」にある。
「絶対なる神がいる」「久遠仏がいる」「不滅の仏性がある」――こうした概念をブッダは認めない。

存在を主人とし、それに依存する奴隷のようなあり方から完全に離れることを説いたのだ。

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パーリ語経典には「サッダー」(パーリ語:saddhā、サンスクリット語:śraddhā)という言葉がある。
パーリ語の「サッダー」は、日本語では一般に「信仰」「信頼」「信心」と訳される。
だが、テーラワーダ仏教におけるサッダーは、「盲目的な信仰や根拠のない信念」ではない。理性的な信頼や確信に基づくものだ。
具体的には、ブッダが完全な悟りを開いた存在であること、ダンマが苦しみからの解放の道であること、サンガがその道を正しく実践する共同体であることへの確信である。これは、自分で実践し、体験を通じて真実性を確認することで得られる。

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サッダーは「根拠のないものを信じる」ことではなく、観察と実践に基づく確信に近い。

たとえば、「今、呼吸している」という事実は、信じる必要がないほど明らかな現実だ。その呼吸に気づくところに平穏の道がある。これは直接的な観察や体験に基づく信頼といえる。

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一方、サンスクリット語の「śraddhā」は、より信仰的な意味合いを含む。ヒンドゥー教では、特定の神(シヴァ、ヴィシュヌ、クリシュナ、カーリーなど)や教義への帰依・信心を強調し、時に盲目的な信奉の要素も含まれる。
これに対し、テーラワーダ仏教のサッダーは、ブッダの教えが「エーヒパッシカ(来て見なさい)」と説くように、盲信を排し、検証可能な真実への信頼を重視する。

ブッダはこう説いている:
「伝統だから、噂だから、聖典に書いてあるからと信じるのではなく、自分で観察し、理にかなったものを受け入れなさい。」『カーラーマ・スッタ』(AN 3.65)

つまり、それは盲目的な信仰ではなく、自分で実践し、結果を確認することで育まれる確信なのだ。
だから、ブッダは「エーヒパッシカ(来て見なさい)」と呼びかけ、自分で実践し、体験を通じて真実性を確認するように示す。

それは「サンディッティカ(即座に見える)」――実践を通じて結果が直接的に現れるものであり、「アカーリカ(時を超える)」――時代や場所に縛られない普遍的な真理である。
無常さや実態を体感するプロセスこそが、サッダーを深め、ダンマへの確信を強める。

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ひろさちやさんは、対談が終わってから、あちこちの雑誌に「小乗仏教はだめだ」とか「わたしは堂々と小乗仏教を批判する」といった趣旨の説を書いていたのだった。