過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【学歴社会、偏差値教育の終焉】2025.11.08

【学歴社会、偏差値教育の終焉】2025.11.08

外は雨だ。

それでも、足元の虫たちは鳴いている。残り少ない力を振り絞って、配偶相手を探している。

昨日は森林コンサートに行けなかった。大きなテントを持参して歩くのは無理だと判断した。

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あかりが来たので「算数」を教えていた。

図式(スキーマ:シェーマ)について説明した。まずは1とか2とか数えるという意味について教えて、足し算と引き算、掛け算と割り算について教えた。

「距離=速さ×時間」「食塩水=濃度×量」といったものを図式にして、掛け算と割り算の構造を教えた。単なる公式暗記ではなく、概念の理解を促そうとしている。

図式(スキーマ:シェーマ)をもとに、自分で問題を作るところまでやらせた。楽しそうにやっていた。漫画を描きながら。

まあ、あかりがどこまで理解できたかはわからないが、お父ちゃんとしては面白かった。

今、小学1年生から3年生の教科書をめくっている。算数にハマっているのだ。

「参考書なんか要らない。教科書だけで十分だ。」

これは、私の大学受験のときの失敗なのだが、あれこれと参考書を買いあさった。「新・新英文解釈」「原仙作の英文標準問題精講」「試験に出る英単語」などなど。で、結局、参考書評論家になってしまう。そして、友人は東大を目指して五浪した。ご苦労さんなことだ。

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実は参考書は要らない。教科書で十分なのだ。

友人の東大生(後に通産官僚)は、ほとんど参考書はやらなかった。教科書だけで十分といっていた。

「数学は?」と聞くと、「あれはパズルみたいなものだから、気分転換にやっていた」という。

そういうことで、私も「教科書で十分」という勉強をしていたら、すんなり進んでいたかもしれない。ごうごうと焚き火をしながら、友人たちとそんな話をしたのだった——。

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まあしかし、今の学歴社会、偏差値教育は意味があるとは言えない。

試験のために学ぶなんてもったいない。生きるためのワザ、コミュニケーション力、発信力、友だちとの交友力、なによりサバイバル力がたいせつだ。

起業家を目指す、自営業を目指す、ブルーカラーでいい、自由な時間に趣味を深める。そういう時代になってくる。ホワイトカラーは、AIに駆逐される。

料理人、ペンキ屋、空調屋、配管工、ボイラーマン、たこ焼き屋、大工のように便利屋、和食の調理人、金箔職人——手にワザを身につけて世界を股にかける。そういう時代になっていく。

友人は、和食の調理人としてニューヨークで働き、そこからツアーコンダクターになっていった。

雨音に始まり、虫の声、焚き火の音、子どもの声と、静かな音の連なりの中に「生きること」「学ぶこと」「働くこと」の連続性で描いてみた。