【③長尾先生】2025.11.7
長尾先生の「語録」というか、「人を生かす智慧の断片集」を思い出すままに。
「何事においても“らしさ”が大切だな」。
神主を目指していた私の友人に言ったときのもの。神式の作法やしきたりよりも、何よりも神に向かう「らしさ」を身につけることが大事だと。
「本当の神道を学ぶには、玉光(たまみつ)神社(井の頭公園に隣接)に行くといい。きちんと清冽な空気がわかるよ」とも。
「宗教は外からじゃわからない。中から見なくちゃいけない。
いい宗教団体とよくない宗教団体の見分け方はある。
そこに行くと、“ねっとりした生暖かいもの”を感じる。それは、よくない宗教やなぁ」
いいところは、たとえば、庭の植木を見てごらん。整然とスッキリと立っているところがある。そういう場が整っている宗教団体はたいしたものや。ごちゃごちゃしていたら、それはダメだ。」
〝ねっとり〟と言うのは、たしかにわかるような気がする。過度な依存、熱狂、あるいは閉鎖性、閉塞感といった、精神的な不健康さを的確にあらわしているような。植物がきちんと整列しているというのは、内面が整っているからこそ、その場や環境も整うってことかな。
ある巨大宗教団体の新聞を見せる。「邪悪と戦え」と一面に書いてあった。
「この世に、邪悪なんていうものがあるんかいなぁ……。
〈わたしが正しい〉というのは、宗教とは言えんなぁ……。
本当の宗教というのは、〈わたしが正しい〉じゃなくて、〈わたしが間違っていました〉というようになるんじゃないかなぁ……。」
たしかにそのとおりで、独善排他的な正義の主張を否定し、自己の不完全さを受け入れる謙虚な心こそが真の宗教心と。まあ、そういう団体には、いくら言ってもわからないだろうけど。
「それから宗教といっても、心霊科学から見ればわかってくることがある。心霊科学協会なんてところもあるから、顔を出してみるといい。新興宗教の真如苑だって、私は行ったりするよ。あそこはしっかり拝んでるなぁ。一度行ってみるといいよ。」
その頃、私は国立に住んでいて、隣の立川に真如苑の本部があったので、2月の寒行に参加したことがある。朝4時半の国立駅のトイレ掃除から始まり、立川の本部での読経と真言、さらには護摩行まで。その寒行中は、心身のエネルギーがとても充実していたのを覚えている。心霊科学協会にも出かけた。
「中国の古い話でな、雨が降らずに人々が困っていたとき、ある人が現れて『雨を降らせましょう』と言う。
その人は小屋に入ってじっとしていると、やがて雨が降り出した。
人々が『どうやって祈ったんですか?』と聞くと、『大したことじゃない。雨が降るというイメージを心の中でしっかり固めていただけだよ。ありありとイメージして深めていけば、現実に雨が降ってくる』と答えた。
だから普段から心を穏やかにすること、心を落ち着けること、平和にすることが一番大事。それが宗教の心なんや。」
具体的にどうすればいいか?
「うん、人それぞれだ。あんたの場合は、先祖供養をしていないなぁ……。仏壇の扉の脇に先祖がかろうじてしがみついている感じだ。位牌でもいいからきちんと作って、丁寧に供養するのがいいよ。」
宗教とは、信じることよりも“整えること”。
祈ることよりも“感じ取ること”。
正義を主張することよりも、“間違いを受け入れること”。
そんな教えを頂いた。(続く)