【②長尾先生】2025.11.7
「仏具磨きのじいさん」こそ、長尾先生であった。
やりとりから、「特別な霊的なことがわかる方」とお見受けした。
高田真快和尚との打ち合わせの場で、私の顔を見て、ぽつりと言った。
「あんたはなあ……。縁をつかむ力があるなあ。縁を結ぶことができる。
でもまあ、惜しいことに……(ふぅ)。自分でせっかく作った縁を、簡単に切り捨ててしまうところがある。それが課題だな。」
まさにその通りで、いろいろな縁を作るものの、それを生かさない、継続させないところが、今でもあります。まあその意味では、62歳にして子供を授かり、子育てを続けるという修行につながっているわけだ。
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長尾先生は、ぱっと見、まったく普通のおじいさんだった。静かで控えめ。体も小さい。「どうです」というところはまったくない。
外見はただの老人でありながら、その内には深い洞察力と霊的な静謐さを秘めている。まさに「霊性が日常に溶けている」というところ。
四国の多度津にお住まいで、真言宗醍醐派のお坊さんだった。仏教、密教、心霊科学、気学や易学にも詳しかった。東京に来るのは、いろいろな霊的な世界の探求のためであった。
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これが縁で、私は長尾先生が上京する度にお会いしては、学ばせてもらった。
私のアパートや公民館で、「長尾先生に相談する集い」というのも企画していった。
長尾先生は、会った瞬間にその人の本質を見抜く力があった。
しかし、それを直接、端的に言うと相手が気を悪くする、心を痛める。そのため、どう言えば伝わるのか、その言葉を選ぶのに時間がかかるとおっしゃっていた。なるたけ、本人しかわからないことをさり気なく言う。
いろいろ苦労してきた人がいた。霊に取り憑かれやすい体質の人だ。
何も語らずとも、その人に会った瞬間に、ぽつんと一言。
「いろいろ大変やったなぁ……」
そう言われて、その人は泣き出してしまったこともあった。
長尾先生の能力が、単なる当たるとか外れるとかではなく、人の心の琴線に触れ、癒しをもたらすものであったろう。「的確さ」と「優しさ」が、長尾先生の真骨頂であった。
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こういう霊的な能力というのは特殊なものだ。修行して得られることもあるだろうけれど、多分に生まれ持ったものじゃないかとも思う。
長尾先生の場合、仏教を学び、いろいろな宗教や気学や易学を学ぶうちに、それが整理されていた。
霊的な力というのは、人を魅了する。
深い暗示や、他人に語ったことのないものでも、すんなりと「こうやなぁ」と言われると、ぎょっとする。
こうした力のある人は、いろいろと影響を及ぼす。
ずばっと本質を看破したりするとすごく敬服され、口コミで信徒も増えてくる。信徒が集まれば、お布施が集まる。お布施が増えればありがたいだろう。
すると、いつしか力を過信して、傲慢になってしまうこともある。そこに魔が付け入る。知らず知らずのうちに、低級霊に支配されてしまうこともある。
長尾先生は、そのあたりをよく気をつけていて、なるべく有名にならないように、評判にならないように、ひっそりしていたのだった。私にとっては。光と影、信仰と謙虚、力と慎みなど、いろいろ学ばされることになる。(続く)