過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【①長尾先生】2025.11.6

【①長尾先生】2025.11.6

40歳で出家して全国行脚して寺を建立した人がいる。コンセプトは「がん封じ寺」。ところが、自身ががんにかかってしまった。江戸川区の唐泉寺、高田真快和尚という。

なにごとも派手な人で、天性の明るさがあり、ハーレーにサイドカーを付けて法事に出かけるという、異色の人物であった。出家前には、ベトナム戦争の最前線で、施設の工事(リベット打ち)をするというすごさがあった。

その和尚から「毎月、新聞を作ってもらいたい。50万円でどうだ」と言われた。ついその気になってお寺の新聞を作り始めた。それが、編集人生のきっかけである。

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それまで新聞など作ったこともなかった。サラリーマン時代は、貿易の販売計画や船積みの計算ばかりするような仕事だった。

初めは原稿を書いて大まかにレイアウトし、印刷会社に依頼して作ってもらった。しかし、自分でゼロから作らなければ面白くないし、儲からない。ということで、次号からはデザインから版下、印刷手配まで自分でするようにした。

当時(1990年代)は、Macintoshでなければできない仕事であった。Macはすごく高かった。本体(Ⅱci)とアプリ(当時はQuarkXPress)、そしてフォント(モリサワ)にプリンター(OKI)を揃えると250万円くらいした。「車を買うかマックを買うか」という時代である。

ともあれ、それ以降、マックのおかげで稼いでいくことになるのだから、必要な投資であった。

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和尚の法話から、お寺に来る芸能人の話を元に原稿にした。

ポール牧も来ていた。その話を元に新聞にして、ポール牧のマンションまで持って行ったことがある。

ピンポーンと数回、鳴らしても出てこない。

しばらくすると靴下を半分履いた状態で大急ぎでポール牧が出てきた。

合掌して笑顔で「すみません、今シャワーを浴びていたんで」と言う。さすが売れっ子芸人。インターホン連打されても「合掌+笑顔」で対応するプロ根性。この腰の低さと柔和さ。

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新聞作りのために、よくお寺を訪ねては雑談をしていた。

ある時、白い作業衣を着た小柄なじいさんが仕事をしていた。70代くらいに見えた。仏具をせっせと磨いていた。「新しい従業員の方ですか?」と聞くと、「うん、ここでいろいろ学びたいというんだ」と和尚は言う。
その日は仏教関係の企画と出版事業をしているSさん、その友人のOさんがお寺を来訪した。私がその仲介をしたのであった。

山形から来たOさんは、蔵王の山頂に護摩堂を建てた。そこに多くの信徒を呼びたい。「ついては高田真快和尚に、毎月、護摩を焚きに来てもらいたい。それでお寺が繁盛できればありがたい」。そういう話であった。

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その時、応接室に先程のおじいさんが「あのー、私も入れていただいていいですか?」と恐る恐る入ってきていた。

なんなんだろうこのじいさん、この話に関わっても意味がないのになぁというのが第一印象であった。
高田真快和尚は面白いことが好きだから、「いいですよ。行きましょう。護摩を焚きましょう」ということでトントン拍子に話はまとまっていった。

ところが、このじいさんが静かに言った。
「あの失礼ですが一言申し上げたいと思います。単に護摩堂を作ったからといって人が集まるわけではありません。お寺というものは祈りのエネルギーが充満していなければなりません。」

それはそうだ。そんなことはわかっているわけで、そのために護摩をするという話ではないかと内心思った。

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続けて、そのじいさんの言った事で、雰囲気は一気に変わってしまった。

「そもそもお寺を作るには、徳が必要なんです。徳がなければできるものではありません。そしてOさんは、失礼ながらお寺を作る徳があるとは思えません。
お寺を作るよりもより前に〝整理すべき因縁〟がおありではありませんか?」

その話を聞いたOさんは青くなってしまった。
盛り上がった話は、一気に水をかけられて一同、しゅんとなってしまった。

それまで「ただの仏具磨きのおじいちゃん」だと思ってたのに、一言で場を凍らせ、蔵王護摩堂を建てようとするOさんを「徳がない」「因縁を整理しろ」とバッサリ切り捨てたわけだ。

その瞬間からこのじいさんの静かな迫力がずっしりと響いてきた。一方、高田真快和尚の存在感がふわふわと軽いものになってしまった。(続く)

※「私の精神世界・宗教史」の執筆のペースメーカーとして投稿しています。