【⑦ 死んだらおしまい、ではなかった】2025.11.5
ある時、尊敬する霊能者の長尾先生に事情を話すと、
「すぐに行きましょう」ということになり、お供をした。
※長尾先生の霊的能力については、別の機会に述べる。
船橋の駅を降りたあたりから、長尾先生はすでに霊的なものを感知していた。お寺を案内した時、入り口に近づくと
「うわあ、霊がようけおるなあ。まるで火葬場みたいや」
と長尾先生が言う。
そして、長尾先生を大島さんに紹介するや、いきなりこう言った。
「あなたは霊がおわかりになるかもしれませんが、霊の処理はできていないように思います」
「私を使ってくだされば、霊的なものは大抵解決します」
とも言う。
大島さんは、どう対処していいかわからず、その話は先送りとなった。長尾先生は仕事がほしいというのではなく、霊的な探求のためであったと思う。
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それにしても、葬儀社の下請けで一人で葬儀を2,000件以上もこなしたというのはすごい。
その後、僧侶を養成して葬儀社からの仕事を増やしていった。霊園もつくった。
お寺も2つ建てた。檀家はおそらく2万軒ほどになったと思う。
お盆や彼岸などには幕張メッセを会場に法要を行っていた。
一人の僧侶が、霊的な感性と実務能力を武器に、まるで企業のように宗教を運営していく姿は、まさに 現代の宗教起業家であった。
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でも、その成功の裏で、霊的な負荷と人間関係の崩壊 が忍び寄る。お金が集まると物霊(低級霊)も集まる。そこが怖い。
奥さんが離婚を申し出た。
すでに数億円を勝手に持ち出されていた。
事務スタッフの僧侶がお金を持ち逃げした。
この持ち逃げ事件は二度ほどあった。
それで、大島さんは大切な用件はほとんど一人で対応していた。電話の応対だけでも大変だった。私とやりとりしているうちに、次々と電話がかかってきて、さまざまな案件を丁寧に処理していた。
せっかく大きな寺を建立し、お金も貯まって悠々自適であるはずなのに、
寺の仕事に翻弄されるような生き方で、気の毒ですらあった。もう亡くなって二年になる。もっとお会いして、話を聞いておくべきであった。
※この「死んだらおしまい、ではなかった」シリーズは一旦ここで終了します。