過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【⑤死んだらおしまい、ではなかった】2025.11.4

【⑤死んだらおしまい、ではなかった】2025.11.4

大島さんは、自身の体験から「死んだらおしまい」という世俗的な見方に対し、「本質は変わらない」「ずっと続く」と静かに断言する。

そして、故人に対する最大の供養は、「故人を偲ぶことにある」という。

さらに、「常の生き方、日常の暮らし、普段の心のありよう」の積み重ねがそのまま死後の状態を形作るという。

「他を害しない」「心を軽くする」「早く謝ってつぐなう」といった教えは、抽象的ではなく、日々の生活で実践できる具体的な行動指針である。「今、ここ」での生き方を真摯に見つめ直すことに尽きる。

以下、大島さんの話から。
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死んだ人は、無に帰してしまうのではありません。
死後も本人は、ずっと続くのです。

そして、人間の本質は変わることはありません。
やさしい人は死んでもやさしい。手のかかる人は死んでも手がかかる。面倒見のいい人は、死んでも面倒見がいい。子孫を気にしているから、子孫を護ろうとします。

死んでもその人の本質が変わらない。
ということは、「死ぬ直前の心のありようがずっと続く」ということです。
うらみつらみを残し、執着いっぱいで死んだとしたら、その心はずっと続く。
そうなると、死に際が大事になってきます。いつ死ぬのか、わかりません。
常の生き方、日常の暮らし、普段の心のありようがいちばん大切なのです。
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そのためには、なにが大切なのでしょうか。

仏教では、心を育てる基本として、他を害しないこと、傷つけないこと、相手の心を痛めないことを教えています。

相手を苦しめれば、その行為によって自分が苦しむことになるのです。さらには、相手のうらみを受けてまた苦しむことになります。
ですから、相手のうらみつらみを買わないように、気をつけることです。
なにかの拍子で相手の心を害してしまったとき、そういうときはすぐ精算にしておくことです。早く謝ってつぐないをしておくことです。

常に、心を軽くしておきましょう。そうでないと、自分の心に影響があるからです。

悪いことをすれば、ほかならぬ自分の心が痛みます、汚れます。荒みます。そして、ますます悪いことをするようになっていきます。
善いことをすれば、自分の心が喜びます。清められます。穏やかになります。そして、ますます善いことをしようと思います。

もっとも大切なことは、自分の心を浄めていくことです。心を軽くしていくことです。
仏教の教えとは、暮らしの中で絶えず心を浄めていくところにあるものなんですね。
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私は、出会いというものは、
「すべてが大切な〝ご縁〟」
だと思っています。出会った縁のひとつ一つが、その後の生き方に影響を与えていきます。
振り返ってみれば、ムダな出会いとか無意味なことは、ひとつもないんですね。

不思議なことに、一見やっかいなことが、長い目でみるとかえって〝いい縁〟だったということが多いんですね。
長い目で見ないと、その縁がいいか悪いか、わからない。
「いい」とか「悪い」というのは、そのときにはわからないんです。
あんなつらいこと、いやなこと、哀しいことがあったから、自分の傲慢さや至らなさに気がついた。進路を誤たずに済んだということがあります。逆に、いい縁だと喜んでも、後からみて失敗のもとになったということがあります。

そのように、あらゆる出会いを〝縁〟ととらえて生きていくと、心穏やかに暮らしていけるようになると思います。
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大切なことは、常に手ぶらでいることです。
常に心になにも持たないようにしたいものです。

横や後ろや下を見ないで、いつも前と上だけを見ていきたいものです。
横を見るとは、他人と比較すること。
後ろを見るとは、過ぎ去ったことをいつまでも後悔すること。
下を見るとは、どうせだめだろうと悲観的になること。
人生において、なにが大事かというと、まずはいのちですね。
そして時間です。
お金は、というと十番目くらいになるんじゃないでしょうか。

いのちと時間とは、お金で買えません。いくら物があっても、権力があっても、やがて移ろい壊れていくものです。私たちは、壊れることのない安心を築きたいものです。
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人生における安心とは、なんでしょうか。

それは、私というものは死んでも無にならない、自分という存在はあり続けるということなんです。そこがわかると、安心を得られるのではないでしょうか。

「あせらず
あわてず
あきらめず
とにかく、ひとつひとつ」

死という究極の問いを出発点としながら、どう生きるべきかという実践的な智慧へと着地にもっていった。(続く)