【①スマナサーラ長老】2025.11.4
こんな冬の雨で思い出した。もう30年も前の話である。
わたしはアートエナジーというワークショップを主催していた。会場は、国立市の福祉会館の多目的ホール。
スマナサーラ長老のヴィパッサナー瞑想会。ヴィパッサナーを体験したい方は、もう坐っている。
そこに、シルバーダンスの会の方々がやってきた。
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「え? 今日は違うの?」「どうしてできないの?」
など、ガヤガヤワイワイとしている。
会場の担当者に聞くと、どうもダブルブッキングになっていた。
こちらに否はないし、シルバーダンスの会にも否はない。おそらく経緯としては、私のほうが早く予約していた。にもかかわらず、会場の担当者が後から予約したシルバーダンスの会のほうも受け付けてしまったわけだ。
雨が降っているし、もう暗いし、お年寄りだし、気の毒ではある。
といって、こちらがやめるわけにはいかない。
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長老は、茨木の大洋村から国立まで来ていただいている。遠方から来られている参加者もたくさんいる。譲れないのだ。
「こちらのほうが早く予約していますので、申し訳ありませんがお帰りください」と押し切ったのだった。
しかし、入り口のほうでまだざわざわしている。このざわざわ感が、つらいところだ。主催者としてはとても気になる。
長老に経緯を説明する。長老は「あ、そう」みたいな顔をしている。なんということもなく落ち着いている。BGMを選曲して流したりしていた。
「曲を流すのはどうしてですか?」と聞くと、「いや、反応を見たいからね」と。
状況に感情的に巻き込まれず、ただ「起こっていること」として観察する遊び心のような感じでもあった。
それでも落ち着かない。
主催者の私が落ち着かないと、ヴィパッサナーの集いそのものが難しい。
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そのとき、長老がすっと瞑想に入られた。
その瞬間。
会場の空気がもののみごとに変わった。なにより私自身がものすごく落ち着いたのだ。「もう大丈夫だ」という実感。
長老って「本気で坐るとすごいな」と、そのとき初めて感じた。
これってヴィパッサナー瞑想そのもののプロセスを体現しているなあ、といまにして思う。
日常の中の小さな混乱と、そこから生まれる静寂。静かに坐ることで場を制する力が生じている。在り方そのもので場を鎮めてしまう。物理的な空間と人々の心理状態を瞬時に変えてしまう。
雨音の中に突然訪れた無音の瞬間のようでもあった。
※「わたしの精神世界・宗教史」の執筆のためにペースメーカーとして投稿しています。いろいろな宗教や神秘体験、そしてスマナサーラ長老の体験シリーズがランダムに続きます。