過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【①死んだらおしまい、ではなかった】2025.11.2

【①死んだらおしまい、ではなかった】2025.11.2

ある喪主の方から尋ねられた
「妻は成仏するんでしょうか?」

葬儀会場は、木造アパートの二階の一室。部屋には祭壇はなく、棺と一対の盛花だけの質素なものだった。参列者は、家族と数人の弔問者だけの密葬。

喪主が心配顔で恐る恐る話しかけてきた。
「うちやつのはまだ三十七歳なのに、急に脳血栓で逝ってしまいました。小さい子どもを遺して成仏するんでしょうか?

妻はあとに遺した子どものことが心配でたまらない。この世に未練と悔いが残っている。そのため、成仏できないのではないでしょうか。」 

思いがけない問いに一瞬言葉を失いかけた。でも、気を取り直して
「十分にご供養してあげれば成仏しますよ……」
と、ありきたりの返答をした。

そのとき私は、きちんと確信をもって
「成仏します、ご安心ください」
と言えなかった。自分でたしかに確信できること以外には、安易に断言すべきではないと思ったからだ。

⦿---------------------------------------
「経典にはこう書かれています。法然上人はこう説かれていますので成仏できますよ」と言ったとしても、それはたんなる受け売りでしかない。

そのとき、故人が成仏したかどうか、確信のないことに僧侶として恥ずかしいし、「これではいけない」と感じた。

それまでの私は、葬儀をひとつのセレモニーとしてたんたんとやっていました。僧侶でありながら「故人が成仏としたかどうか」という問題意識はなかった。
このときの喪主の問いから、私はなんとかして故人の状態を感じとることができないか、と思うようになった。

⦿---------------------------------------

これは友人の僧侶の体験談である。僧侶の名は、浄土宗の大島祥明という。

大阪の寺に生まれ育ち、若いころから葬儀に立ち会ってきた。多くの葬儀は僧侶が三人から五人で執り行ってきた。
ところが東京にきて、独立してのアパート暮らし。葬儀社の紹介で葬儀を執り行う機会が多くなった。弟子もいないので、ひとりで行う葬儀が多くなった。

檀家もいない、ほとんどが葬儀社からの依頼である。だから、個人に会うのは通夜の席がはじめてだ。むろん亡くなった背景や生前の暮らしぶりなどわかるはずもない。

しかし、このときの喪主の質問に答えられなかった大島さんは、「死後はあるのかどうか。なくなった方がどういう状態におられるのか」という問題意識をもちながら、葬儀を重ねていった。

故人を前にしてお経をあげるたびに、「なんとか故人を感じとれないだろうか」と、心を研ぎ澄ませていった。

⦿---------------------------------------
やがて、789体目の葬儀のときだ。

それまでの葬儀とは違う「何か」を感じるようになっていった。
はっきりとわからないけれども「何か」を感じるのだった。

いったい何なのかは、まったくわからない。けれども、確かに「何か」が感じられる……。

──これはもしかしたら、故人の霊ではないか。故人がなにか訴えかけているのではないか。
と少しずつ、感じるようになったのです。

次第に故人が何を訴えているのか、どんな様子なのか、感じとれるようになった。
自分の思いこみもあるので、遺族と語りながら、誤りがあれば修正したりしてきた。こうして霊の実感を一件一件、検証していった。記録していった。

⦿---------------------------------------

大島さんは、昭和五五年(一九八十年)から平成三年(一九九一年)に至る十一年余の間に、実に二〇四六名にわたる葬儀をしてきた。すべて葬儀社からの依頼である。ほとんど毎日が、通夜に葬儀という日々。

二〇四六件もの葬儀の多くは、葬儀社からの依頼によるものだ。

毎月平均十五人、最も多いときには、一か月に二十八人の葬儀。ほとんど毎日、通夜に葬儀という日々です。毎日、どこかの火葬場に行っていた。

実感した霊(本人)について探求することが、ひとつの目的となっていた。
──きょう出会う霊(本人)は、どのような方だろうか。どんなことを訴えているだろうか。
それは、ある種、なにか実験を重ねて研究しているような気持ちだった。

霊(本人)の状態を実感しては、その受けとった感じを遺族の方と語って確認し、克明に記録していった。

大島さんにとって、霊魂は、「確かに実在するもの」となった。
宗教的な確信や信仰の問題なのではなくて、確かに「在る」あるいは「いる」ということが実感としてわかるようになった。

一般的に言われている「霊」はたしかに実在する。これを
二千件を越す葬儀の体験によって、霊の実在を確信するようになった。

霊が「在る」のは、もう前提であり、「わかるか、わからないか」「実感できるか、実感できないか」であった。

「よくわからないけれども、感じる」「たしかに、なにかある」という感覚。「本人」の性格、人柄から、なにを訴えているのかがわかる。
自分を限りなく無というかゼロの状態にしていって、研ぎ澄ましていった状態。──そんなときに霊を感じやすい。
故人を前にしてお経をあげるときが、もっとも研ぎ澄まされた状態になれるのだという。

誰もが納得のいく客観的なデータとして残しておきたい。その気持ちから、出会った霊的な体験を、一件一件、記録していった。

⦿---------------------------------------

死後の霊的な存在を確認しようとという思いで2000件余の葬儀を体験した。そして800体目あたりから、少しずつ仕事の霊的な生命を実感するようになった。それを克明に記録していった。

そんな友人の僧侶の霊的体験をつくらせてもらった。

「死んだらおしまい、ではなかった──二千余名を送って──」(PHP研究所)。

2009年に発売され、これまで20万部というベストセラーになった。出版社から続編を依頼されていたのだが、著者は数年前に亡くなられた。

売れ方も不思議だった。初版は8,000部。新聞広告もなし。しばらく動きがない。「まあ、せいぜい初版止まりかな」と思っていた。

すると、少しずつ売れだした。一つのきっかけは「生協のカタログ」に掲載されたこと。それで、口コミで伝わってきた。東北大震災の後に特に売れてきた。50刷くらい行ったと思う。

この本はいわゆる坊さんの説教本ではない。単なる霊的体験談ではなく、「真摯な探求者の記録」あるいは「死後の霊界のフィールドワーク」といったらよいだろうか。(続く)

※「私の精神世界・宗教世界史」の執筆のペースメーカーとして投稿しています