【①古武道 甲野善紀】2025.11.1
「柔らかさと強さ」という一見矛盾する性質が同一人物に共存している。「柔らかいがゆえに」強い、速い、器用。
「触れた瞬間に、世界が変わった。」
マシュマロのような柔らかい腕が100キロ超の選手を軽々と投げ飛ばす。
甲野さんは、「触ってご覧」と腕を差し出した。
さぞかしすごい腕っぷしで、筋肉がモリモリかと思いきや、わりと細い。触らせてもらうと、驚いた。ふにゃふにゃだ。肉が揺れる。まるでマシュマロのようだった。
「じゃあ、腹に腕を入れてごらん」手のひらを刀にして、腹をゆっくり突いてみた。すると、ずぶずぶとめり込んでいく。
とても柔らかい。温かい。ゆるゆるだ。
──こんな人がいるのか。こんな身体があるのか。そんな柔らかい身体で、100キロ以上の人を軽々と持ち上げ、投げ飛ばすことができるのか。
「柔らかさ=強さ」という逆説。「マシュマロのような腕が100キロ超の選手を軽々と投げ飛ばす」。
「力」=「硬さ・筋肉・緊張」という固定観念を、実際に触れたことで、「えっ、そんなことがあり得るの?」と驚かされたのだ。まさに身体の常識を覆す体験であった。
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見た感じ、体重は60キロくらいで、痩せているほうだ。それが、100キロものラグビー選手を、いとも簡単に投げ飛ばしていた。
一橋大学での講演と演武の後、取材をお願いした。しばしの立ち話の後の体験である。当時は、NHKで「古武道」のシリーズが放映され、かなりの有名人になっていた。
いつも袴姿で、日本刀を携え、下駄で歩いている怪しげなおやじだった。それが、一躍、ものすごい人気者となった。
一橋大学で実演と講演があったときにお会いした。話そのものはボソボソとしていて、あまり面白くなかった。
「うーん、これはつまらないかも」と思った。しかし、実演になると、突然輝きが炸裂した。壇上に希望者を次々と招き、投げ飛ばす。
100キロ以上の猛者たちも軽々と持ち上げられ、投げ飛ばされる。持ち上げる、投げ飛ばす、瞬時に移動する、交わす──そんな実演をしてくれた。実演しながらの話は、たいそう面白いものだった。
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講演と実演が終わって帰ろうとする時、甲野さんに追い付き、インタビューの依頼をした。
「うーん」としばし考え、佼成出版社の絵本の何とかいうのがほしいと言われた(立正佼成会の雑誌の取材だったため)。
「はい、探してみます。」絵本はすぐに手配して送った。それで、取材はOKと思われた。
多摩の道場に取材したとき、印象的だったことはひとつ。
「いつも、新しい」というあり方で稽古しているということだ。
「決められた型」や「決められた筋力の運動」など一切しない。
「型などないんです。型を持って練習を繰り返すなんてことはしない。そんなことをしたら感性が鈍るだけ。私はいつも新しいことをしています。薄氷を踏むような思いで歩んでいるんです」とおっしゃった。
「型に縛られない」というのは、 創造性の極みだし、「薄氷を踏む」= 常に不安定、常に未知への挑戦をしている。これは、単なる武術の話ではなく、生き方のありようだ。
※「私の精神世界・宗教体験史」の執筆のためにペースメーカーとして投稿している。甲野善紀さんの話は、宗教ではないし、精神世界とは言いがたいけれど、新しい身体観のすごい基本を述べていると思い、投稿した。