【⑦オウム】2025.10.31
オウムは1992~1995年、ソ連崩壊後のロシアで急速に勢力を拡大し数万人規模の信者(3万とも5万人とも)を獲得していた。
ソ連邦崩壊り精神的真空状態やエリート層の若者へのアピールが功を奏し、テレビ・ラジオ放送、講演会、軍事訓練ツアーなどを通じて布教を進めた。
1992年にモスクワ支部設立後、ロシア正教会への寄付、政治家との接触で急成長。信者の多くは大学生や科学者などのエリート層で、最大規模の海外拠点となった。
モスクワ放送(Radio Moscow)などを利用して短波放送を発信していた。そのプログラム名は「エウアンゲリオン・バスレイアス」。エウアンゲリオンは「福音」を意味する。ギリシャ語「Ευαγγέλιον」の音写。
ロシアのクラシック音楽の演奏者たちを信徒にしており、「キーレーン」という交響楽団を組織していた。日本での演奏会に誘われて出かけたことがある。クラシック音楽と麻原の作曲したものを演奏しており、全員がオウムの服装をしていた。
麻原は壇上で大きな椅子に座って聴いており、演奏が終わるや、指揮をとっていた信徒の頭を盛んに叩いていた。「あれはシャクティパットだ、すごいことだ」と信徒たちが言っていた。
⦿---------------------------------------
ある大学教授の話によると、オウムのサティアンからは大量のLSDが発見された。その量は1970年代のアメリカにおけるヒッピー・ムーブメントで消費された総量を上回るものだったという。
また、著名な作家との取材で立川から諏訪まで同行した際、彼は「オウムは北朝鮮ルートで麻薬を密輸入していた」と語っていた。サティアンで覚せい剤を製造し、暴力団に販売して利益を得ていたという噂もある。
ロシアでの布教成功や北朝鮮との関与の噂は、オウムが単なる日本の宗教団体ではなく、国際的なネットワークを持ち得ていたことを示す。現代のテロ組織の構造を先取りしていたともいえる。
⦿---------------------------------------
いずれにせよ、未解決の謎が多すぎる。本来ならば、より徹底した事実確認が必要であったにもかかわらず、13名が死刑執行されてしまった。司法プロセスや真相解明が十分に行われなかった可能性がある。
もし現代にオウムが存在したなら、AIとSNSを駆使した多角的な情報発信を行い、ドローンなどを用いた攻撃システムを構築していただろう。その破壊力ははるかに大きいものとなる。
これらの回想や伝聞をもとに記すと、技術の進歩が必ずしも社会の安全につながらず、むしろ破壊力を増幅させる可能性があること、「カルト」的組織が時に国家をも凌ぐ規模と能力を持ち得る危険性があることが想起される。