【⑤オウム】2025.10.31
私には元オウム関係の友人が10人以上いる。
彼らから、信徒時代の修行の様子や事件後の暮らしぶりなど、さまざまな話を聞くことができた。
なぜそんなにオウムの元信徒の知り合いがいるのかというと、私自身がオウムを攻撃せず、むしろ興味を持って接しているからかもしれない。
瞑想や原始仏教、宗教やスピリチュアルな話題が好きなので、自然と信頼関係が築けてきたのだろう。
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一口に元信徒と言っても十人十色だ。共通しているのは、全員が脱会してオウムは悪夢だったと認識していること。それぞれが有能で、我を張らず淡々としている。仕事を依頼しても、きちんと正確に仕上げてくれる人ばかりである。
彼らは通常、元オウム信徒であったことを口にしない。そんなことを言えば、世間からは強い偏見の目で見られ、メリットが一切ないからだ。
彼らは「被害者」でも「加害者」でもなく、ただ「過去を抱えて生きている普通の人」ともいえる。
これから書くのは、オウム信徒の単なるエピソードではなく、「社会がいかに『過去のレッテル』によって人間の現在の価値を見えなくするか」という問題の探求でもある。
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ある友人は、オウムの出版物や広告、チラシなどのデザインを担当していた。事件後は組織を離れ、デザイン会社に就職した。
ところが、ある日、社長から「君がオウムだという噂がある。もし元信者なら辞めてほしい」と言われる。
その会社は防衛省の孫請け的な仕事もしており、オウム関係者がいることが知られれば仕事がなくなることを社長は恐れたのだ。
なぜ彼が元信者だとわかったのか――理由は二つあった。
一つは、昼休憩中に椅子の上で結跏趺坐を組んで瞑想していたこと。そんな休憩の取り方は普通見られない。彼らはきちんと結跏趺坐ができ、慣れればそれが最も楽な座り方なのだ。
ちなみに私も練習を重ね、今では簡単に結跏趺坐ができるようになった。確かに楽な瞑想姿勢であることはよくわかる。
麻原彰晃が、刑事訴訟の証人席にいるとき、「結跏趺坐をしたいのですが」というと、裁判長から「だめだ」と断られていたのを思い出す。
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もう一つは、彼の運動靴のかかと部分に、オウム時代の信者名が書かれたままだったこと。通勤用の運動靴を下駄箱に入れておいたところ、他の社員の目に留まり、怪しまれることになったのだ。
「あいつは怪しい。オウムだ」という評判が立ってしまった。本人にとっては単なる使い捨ての生活品に過ぎない運動靴が、社会にとっては「決定的証拠」となる。過去の痕跡を完全に消し去ることの難しさを物語る。彼らには、常に監視されているという心理的圧迫感があっただろうと思う。
「社会がいかに『過去のレッテル』によって人間の現在の価値を見えなくするかという事例でもある。
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ある友人はイラストレーターで、知床に暮らしていた。もともと池袋のアパートに住んでいたが、もらった電気炬燵から漏電して火事になり、引っ越しを余儀なくされた。
それでなぜか北海道の知床に住むようになった。女性でひとり暮らしだ。
このあたりの身の軽さ、突拍子もないことを淡々と行うのはさすがだと思った。
私が医学書の編集をしていた時、彼女に何百枚ものイラストを発注したことがある。とてもふんわりとした温かい、感じの良いイラストだ。
ある友人は、オウムの月刊誌の編集長を務めていたが、事件後は辞めてフリーのライターとして活躍している。
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麻原彰晃の講演を企画した時、打ち合わせに来たTD師(女性)は、かつて麻原のカメラマンを務めていた人物だった。オウムを辞めた後、自身の体験をブログに綴っているが、その文章は実に優れていて、生々しく新鮮で深みがあった。
「出版したらいいのに」と思って提案してみたが、「自分のために書いているだけだから」と断られた。
数多あるオウム元信者の体験記の中でも、これは特に出色の内容だと思っている。オウム事件は「メディアで語り尽くされた」ように見えて、実は当事者の声の多くは埋もれている。この世に表に出ない優れた記録が無数にあるということもわかる。(続く)
※「私の精神世界史・宗教史」の執筆のためのペースメーカーとして、投稿しています。オウムに関しては、シリーズで長くなりそう。