【②オウム】2025.10.31
「あなたはオウムじゃないのか」という役人の問いに、「いや、違います」と答えた。
「オウムじゃありません。私はいろいろな瞑想会を主催していますが、ヴィパッサナーはこういうもので、ダイナミックメディテーションはこうで……」と説明を試みたものの、相手はもはやちんぷんかんぷんという様子だった。
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ある時、南インド・ケララ州から「抱きしめる聖者」として知られるアンマ(マータ・アムリター・ナンダマイー)を招聘する仕事をサポートした。
国立の福祉会館で開催したその集いで、参加者全員でサンスクリット語(古代インド語)のマントラや祈りの言葉を覚えた。
例えばこの祈りだ:
「オーム ローカ サマスタ スキノ バヴァントゥ オームシャンティ シャンティ シャンティヒ」
(Om Lokah Samastah Sukhino Bhavantu Om Shanti Shanti Shantiḥ)
意味は「生きとし生けるもの、全てが平和で幸福でありますように」。
参加者の方々が覚えやすいように、プリントを用意して配布した。その他にも様々なマントラやバジャン(讃歌)、祈りの言葉を紹介したが、それらはすべて「オーム(ॐ)」から始まっていた。このオームという聖音は、古代から数千年にわたって伝えられてきた神聖な響きなのである。
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ところが、そのプリントを一枚忘れていった参加者がいて、警備員がそれを国立の行政担当者に届けた。
すると役人が「池谷さん、至急来てください」と電話をかけてきた。
出向いてみると、役人はこう言う。「ほら池谷さん、『オーム』と書いてある。だから池谷さん、やっぱりオウムでしょ」。まさに「どうだ、これが証拠だ」と言わんばかりの勢いだった。
「オームというのは、インドの聖なる音の響きで、宇宙の創造・維持・破壊を表す言葉なんです。インドでは数千年にわたって聖なる響きとして大切にされてきました。
リグ・ヴェーダやウパニシャッド、ヨーガ・スートラを読めばわかりますが、そこには必ずオームが出てきますよ」
そう説明したものの、相手にはその背景となる教養もなく、すでに固定観念ができあがっていたため、まったく伝わらない。知識の土台が違う相手に、どう伝えれば理解してもらえるのか――途方に暮れた。
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「そうだ、歌舞伎にたとえればわかるかもしれない」
そう考えて、「勧進帳」のたとえを使うことにした。
「歌舞伎の『勧進帳』をご存じですか。弁慶が着ている羽織の後ろに描かれているマークがありますよね。あれは梵字といって、サンスクリット語をもとにした文字です。あの文字は『カーン』といって不動明王を表しますが、オームもそのようなものなんです」
そう説明すると、担当者はわかったようなわからないような、煙に巻かれたような表情を浮かべた。
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一度固まってしまった先入観や偏見は、どれほど正当な知識や適切な説明をもってしても覆すのが難しい――そう実感した。
相手は「証拠を掴んだ」と確信しているのだから、そもそも話を聞く態勢になかった。当時はオウム関連のマスコミ報道が過熱していた時代。
オーム(ॐ)という古代インドの聖なる音が、オウム真理教事件という「歴史的トラウマ」によって、「危険」のレッテルを貼られてしまった。数千年にわたって受け継がれてきた文化遺産が、一瞬で汚染されたも同然なのである。(続く)