【②スマナサーラ長老の自伝発刊】2025.10.28
今回の自叙伝の取材は、長老ご自身の体験を深く伺う貴重な機会であった。
一対一のインタビューでは煮詰まってしまうと感じ、より多面的な体験を引き出したいと思った。そこで、出版社、デザイナー、旅行会社の友人、アーティストなど、さまざまな立場の人々に同席してもらうことにした。
多様な質問があったほうが、長老の中の異なる側面を自然に引き出せると考えたのだ。
しかし、長老はそのような“ゼミ形式”の取材とは思っておられなかったようだ。その点を事前に十分お伝えしていなかった。
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当日、私たちはゴータミー精舎で長老の到着を待っていた。
やがて長老が入ってこられる。私たちは合掌してお迎えした。
外から来られた長老はサングラスをかけており、表情が読み取れない。
席に着かれると、しばらくの沈黙。
そして最初の一言が、こうだった。
「どうして、こんなにたくさんの人がいるんですかね……。不愉快です。」
長老は、自身の体験を語る場にはせいぜい私と出版社、協会の関係者程度を想定されていたらしい。
思いがけず多くの人が同席していたことで、不快に感じられたのだろう。
場には一瞬、凍った。重い空気が流れた。
もともと、企画を持ち込んだ当初から、長老はこう言われていた。
「私は自分の個人的な体験など語りたくありません。そんなことは、遺体を発掘するようなものです。掘り返して『どうですか、臭うでしょう?』というような本は作りたくありません。」
それでも、「長老の体験は多くの人の助けになる」「ブッダの教えを学ぶ貴重な機会になる」とお願いし、ようやく実現した取材であった。
そのため、不愉快な思いをされたら、この企画はすべて水泡に帰す。
まさに、暗雲の立ちこめる幕開けであった。
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しばらくの沈黙の後、長老はサングラスを外し、
「はい、さあ、始めましょうか」
と一言。
まるでスイッチを切り替えるように、表情も声も穏やかになった。
「では、池谷さんからどうぞ」
こうして、インタビューが始まった。
やり取りは卓球のようなテンポで進む。私の悪い癖で、話はつい脇道にそれるが、そのたびにテーラワーダ仏教協会の佐藤哲朗さんが本筋へと引き戻してくれた。
取材の主題は、
「なぜ長老は日本に来て、ブッダの教えを伝えることになったのか」
である。
1日目、2日目はその経緯をじっくり伺っていた。
ところが3日目、次の長老の著作を担当する予定の女性編集者が同席し、こう尋ねた。
「どうして長老は日本に来ることになったんですか?」
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内心、あちゃー、と思った。
2日間かけて聞いたテーマである。
また同じ話を繰り返すことになり、長老がムッとされるのではないかと心配した。
しかし、長老は穏やかにこう答えられた。
「あなたにねえ、わかりやすく言えば、穴に落ちたんです。」
そして続けられた。
「穴に落ちたら、どうしますか。誰も助けに来ません。自分で這い上がるしかないんです。やっと這い上がっても、そこで人生が終わることもある。そのとき大事なのは『負けるなよ』ということです。負けずに這い上がる――それが私の人生でした。」
この言葉があまりに印象的だったため、自叙伝の冒頭に据えることにした。
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「負けるなよ」という一言は、長老がお母さんからいつも教えられていた言葉である。「勝て」ではなくて「負けるなよ」である。
その前日には、離婚を経験した方が自身の体験を語る場面があった。
その流れを受け、長老はこう語った。
「夫婦でも、家族でも、落ちる穴は一人ひとり違うんです。
みんなそれぞれ違う穴に落ちる。
そのとき、負けてはいけない。
自分で落ちた穴なら、自分で這い上がるしかないんです。」
旅行会社の友人が、「勝て」という言葉が印象的で……と述べると、長老は「勝てじゃなくて、負けるなよということです」と答えていました。
他者との競争に「勝つ」のではなく、自分が直面した困難や苦しみ(穴)に対して、諦めず、他人のせいにせず、ただ自分の足で立ち上がる(負けない)。
長老の人生観や仏教の核心(精進・忍耐・因果の受容)がシンプルに凝縮された言葉かなあと私は思った。この言葉は、長老の人生観を端的に表すものとして、深く心に残った。