【⑦身延大乗結社】2025.10.22
関戸師の信仰が、単なる個人の内面にとどまらず、歴史や土地、そして目に見えない縁と結びつき、現実の動きとなっていく様子をみてみる。
鎌倉攻めの際、土牢で殺された護良親王の首を持った妃の雛鶴姫が秋山村に逃れてきたが、そこで亡くなった。村ではその菩提を弔っていなかった。関戸師はそのために神社を建立しようと思い立つ。
「資金五千万円」
関戸師はそれを達成してしまう。また、木花開耶姫と七面天女を描いた軸も完成した。
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「ご一緒に巡礼しましょう」とのことで、鎌倉の護良親王の墓所や妙顕寺を訪れた。妙顕寺は、壱岐島に流された後醍醐天皇の京都還幸を、護良親王が日像上人に祈願してもらった場所である。
やがて後醍醐天皇が壱岐島から戻り、その大願は成就した。それにより、日像上人は後醍醐天皇から勅願寺を賜った。それが妙顕寺である。そこにも参拝した。
さらに、「大切なのは聖徳太子の『和の精神』だ」と関戸師は語り、富士山の経ヶ岳に聖徳太子の像を祀りたいと願った。そのために、大阪の四天王寺と奈良の法隆寺を参拝したいという。
「ついては、池谷さん、どうぞよろしく取り計らってもらいたい」と頼まれた。私はわけもわからず、京都の妙顕寺、大阪の四天王寺、奈良の法隆寺に連絡して段取りした。
不思議なことに、どのお寺も快く引き受けてくれ、法要を営んでくださった。
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また、関戸師の故郷である山梨県の秋山村には、鎌倉建長寺の「たぬき和尚」伝説がある。
建長寺の和尚になりすました狸が寺院の建立のための勧募に来るが、思わぬところで尻尾を出してしまうという話だ。
「そのお軸が村には残っており、それを建長寺にお返ししたい。法要をお願いしたい」と関戸師は言う。
わたしは、突飛もない不可解な「たぬき和尚」伝説をもとに格式高い建長寺が法要を行うのは難しいと思われた。
しかし、建長寺に電話してみた。
たまたま受話器を取ったのが高井宗務総長であった。
事情を話すと、「ああ、いいですよ」と快諾してくれた。
そして、訪問した当日、建長寺では、宗務総長自らが厳粛な法要を行ってくださった。
ちなみに、「たぬき和尚」伝説は諸説あるが、建長寺で有名な話である。実際には禅僧・無学祖元(むがくそげん、1226-1286)を指すとされることが多いが、別の説では蘭渓道隆自身や架空の僧侶をモデルにした民間伝承とも言われる。
この逸話は、禅の「機鋭な智慧」と「狸の化け物的なトリック」を重ねたユーモラスな話として語り継がれている。
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妙顕寺、四天王寺、法隆寺、建長寺といった由緒ある寺院が、一見突飛な依頼を快く引き受けてくださった。
また、護良親王、聖徳太子、建長寺の狸和尚といった一見ばらばらな歴史的・伝承的人物が、関戸師という一個人を媒介として有機的につながっていく。まさに「霊的ネットワーク」 のような。
見えない導きに運ばれるように動く不思議さと霊的な流れが交差するような体験であった。
まあ、とりとめもないが、そんな不思議な出来事が数々あり、私としては「頼まれたら役目を引き受ける」という流れになっていった。すると、〈出来事が応える〉という流れを体感した。
この一連の「不思議な出来事」の積み重ねこそが、関戸師の信仰の本質——すなわち、「縁」に身を委ね、「行為」を通して見えない世界と共に現実を紡いでいく生き方——を物語っているように思う。
※「私の精神史・宗教史」の執筆のためにペースメーカーとして投稿しています。身延大乗仏教結社のシリーズはこれで完了。