【④身延大乗結社】2025.10.23
初めて身延大乗結社を訪れたときのことだ。
浅草線の西馬込駅で下車し、地図を頼りに坂を上っていくと、関戸師と二人の女性が迎えに来てくれていた。
こぼれるような笑顔に、こちらも自然と顔がほころぶ。今年、九十二、出家して四十五年になるという。
「ここまでやってこられたのは、本当におかげさまです。田舎の山育ちで教養も何もない私が、ここまでこれたんです。これまで脳梗塞などで四度も意識不明になりました。私はとっくに死んでっていたはずの人間だと思います。でも、こうして生きてこられた。皆さんに支えられて、本当にありがたいと思います。」
関戸師はそう語った。
身延大乗結社は、いわゆる寺院のような建物ではなく、木造二階建ての建物にある。二階の仏間には、二十名ほどの信徒が集まっていた。
「お寺を作ると、後を継ぐ人が大変です。建物にお金をかけるよりも、こうした集まりが自由に楽しくできればそれでいい。みんなが幸せになってくれればいいんです。」
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身延大乗結社では、毎週日曜日の朝八時から読経会が行われ、信徒二十名ほどが集う。中には遠方から参加するため、朝四時に起きて通う人もいた。
読誦するお経は、『法華経』の「方便品」「寿量品」「神力品」「陀羅尼品」「観世音菩薩普門品」「普賢菩薩勧発品」だ。さらに、関戸師が自ら木鉦を叩き、皆で千遍のお題目を唱える。その後、日蓮聖人の御遺文と聖徳太子の『十七条憲法』を読誦する。
私はこの集いに参加することで、「神力品」「陀羅尼品」「観世音菩薩普門品」「普賢菩薩勧発品」などを覚えた。創価学会時代には「方便品」「寿量品」しか読まなかったので、新鮮な体験だった。
お経を唱えることが、単なる儀礼ではなく、「声を通して神仏と共鳴する行為」なのだと感じるものがあった。
お勤めの後は、関戸師が用意した料理を皆でいただきながら、座談会に花が咲く。参加者はみなよく笑い、愚痴をこぼす人は一人もいない。
「いつも漫才大会みたいなものなんですよ」と関戸師も笑う。「ここに来ていれば楽しいんです。先生の温かい人柄に接していると、安心なんですよ」と信徒たちは口々に言う。
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身延大乗結社では、いつも二十~三十名ほどで霊跡巡りを行ってきたという。足腰が元気だった頃には、皆でよく七面山(身延山近くの標高1989メートルの霊山)に登った。
「登るたびに、一人ひとりがはっきりとした信仰体験を得てきたんです。」
新年には身延山、夏には富士山五合目にある経ヶ岳に参拝した。
平成十五年には、護良親王(後醍醐天皇の皇子)とその妃・雛鶴姫の菩提を弔い、日像上人への報恩のために、京都の妙顕寺や吉野の金峯山寺を参拝した。
平成十六年の冬には、護良親王の墓所である鎌倉を訪ねた。関戸師は九十歳を超える身でありながら、墓所まで百段以上の石段を登った。
また春には、聖徳太子の心を学ぶため、大阪の四天王寺や奈良の法隆寺を参拝した。これらの参拝には、私も同行した。(聖徳太子、護良親王、雛鶴姫なとについては別に投稿する)
常に集って語り合い、料理を作り、それぞれが持ち分の仕事をする。お経を読み、日蓮聖人の御遺文を学び、参拝の旅に出る。信仰を軸にした集いの強さを感じる。
「常にかたりあわせて、出離生死して、同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ」(『華果成就御書』)
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関戸師を支えているのは、「神仏は確かに存在する」という深い確信だ。自らの生き方を振り返り、関戸師はこう語っていた。
「これまで、人からよく思われようとして生きてきたことはありません。私には失うものなど何もない。貧しいことは決して恥ずかしいことではない。ただ、神仏の心を穢すような生き方だけはしてはいけないと、ずっとそう思って生きてきました。」
「出家したときも、結社を始めたときも、まったく丸裸の状態での出発でした。私はいつも『丸裸でいい』と思っていましたから、怖いものはなかったんです。
もともとお金も地位もない。失うものは何もないのですから。何かを残そうなんて思わないから、『どうしよう、どうしよう』と迷うこともなかった。
生まれたときは皆、裸です。どんなに財産があっても、死ぬときには持っていけません。この肉体も魂でさえ、自分のものではないと思うことがあります。
裸でいいと思うと、神仏が『これだけはとっておきましょうね。さあ、大事にしていきなさい』と、必要なものをちゃんと残してくれる。
『何かを残さなければ』と執着すると、神仏の声が曇って伝わらなくなる。あれもこれもと欲張ってつかもうとすると、やがて力尽きて倒れてしまうのではないでしょうか。」
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私は「もっと持とう」「もっと蓄えよう」と生きてきたから、そこに「欲」という濁りが生じ、心が曇ってしまうのだと感じた。
さらに関戸師は言う。
「最近、ふと思うんです。『自分のもの』は何一つない。この肉体も魂でさえ、自分のものではないと思うことがあります。もともと私には地位も財産も教養もありません。神仏のお使いとして働かせていただけること、それが幸福だと思うんです。」
「宗教団体」というよりも「心の家族」のような集いである。形式ばらず、「集まること」「笑い合うこと」を大切にしている点が印象的で、信仰が「生活の中に息づいている」と感じた。
関戸師には、悟りのような静けさと、現実を真正面から受け止める強靭さがある。宗教的修行を重ねた末にたどり着いた「無所有」の境地が、押しつけがましくなく、むしろやわらかく響いてくる。在家信仰の姿をそこにみる。
※「わたしの精神史・宗教史」の出版に向けての原稿執筆のペースメーカーとして投稿しています。時系列など無視して、「そういえばこんなことあったなあ」というひらめきから書いています。