【②身延大乗結社】2025.10.22
関戸師のもとに集う信徒の方々の信仰歴は、三十年から四十年と長い。一人ひとりが、関戸師の指導を受けて救われた体験を持っている。
それぞれ、関戸師との出会いの背景には、さまざまな苦難があった。ある人は病気の子どもを背負い、ある人はアルコール依存症の夫を抱え、ある人は事業の破綻に直面し、ある人は姑との関係に苦しんでいた。
ひとりで悩み苦しんでいたときに、関戸師に出会ったのだ。関戸師の指導は、通り一遍の説教ではない。一人ひとりの救われていない先祖との関係を霊的に捉え、その人に適した供養法を指導する。
あたかも医者が患者を診察し、処方箋を与えて健康を導くようなものだ。地の因縁や、神仏を粗末にする行為があるという。それを関戸師は一つひとつ解明していく。
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「自らが苦しみを受ける理由は、先祖の『自分の苦しみを伝えたい、わかってほしい、供養してほしい』というメッセージに気づくためでもあります。そこに気づくところから、本当の供養が始まるのです」と関戸師は語る。
相談に来た人は、関戸師から指導された通りに実践していくと、やがて確かな実証として救いの体験を得ていく。
相談者が訪れると、関戸師はお経を読み、お題目を唱える。すると、霊的な直観が訪れる。それは風景として現れたり、名前が浮かんできたりする。供養の方法も霊的なメッセージとして現れる。さらに、方位、家相、姓名判断、四柱推命なども駆使して指導する。関戸師は言う。
「あらかじめ決められたやり方や学んだ知識ではないんです。私の考えたものではだめなんですよ。自分の頭を使ったら、仏さまが喜ばれる供養にはなりません。『こういう供養をしなさい』という指示は、すべて神仏から出てくるんです。私がそれをただお伝えするだけなんですよ。」
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あるとき、相談者が訪れると、関戸師がお経を唱えると、山の上のお稲荷さんの光景が浮かんだ。「お稲荷さんが何か伝えたいのでは……」と伝えると、相談者はそこから調べ始める。すると、その光景が故郷の稲荷神社であることがわかった。
さらに、満州から引き揚げた際に、混乱の中でその稲荷神社のお札を置き去りにしていたことに気づく。そこで、お稲荷さんをきちんとお祀りすると、悩みが解消されたということもあった。
霊的な力を持つ関戸師だが、決して自分の力を誇ったりしない。世間の霊能者のように「低級霊がついている」などと脅すこともない。信徒の方々は、「関戸先生のところに来ていれば間違いない。関戸師の温かい人柄に接していれば安心」との思いを抱いている。
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関戸師は、むかしの感覚で言うと「拝み屋」である。
宗教者というよりも「霊的な臨床家」のようであり、信徒一人ひとりの苦悩に寄り添いながら、見えない世界を通じて因果を解きほぐしていく「心の医師」みたいな感じ。
大切なことは、宗教や霊性の世界では、ともすると“力の誇示”や“依存の強要”に傾きがち、そして恐怖で縛り付けたり、指導者は傲慢になっていく。しかし、関戸師は「謙虚な媒介者」としてあった。
それは、この写真を見ればわかるかと思う。当時92歳のかわいらしいおばあちゃん。
先祖霊については、私には分からないが、自分というものの先祖からの“つながりを回復する契機”というふうにもとらえられる。
私には「信じるかどうか」以前に、「こうした信仰の世界が、実際にどのように人を支えているか」に関心があった。
それは「個人の苦しみ」と「霊的な因縁」の結びつきを通して、人が癒やされていく過程であり、こうした関戸師の指導や信徒の物語を通じて、宗教や精神世界が「救い」や「つながり」をもたらす様子がいきいきと感じられたのであった。(続く)
※「わたしの精神史・宗教史」の出版に向けての原稿執筆のペースメーカーとして投稿しています。時系列など無視して、「そういえばこんなことあったなあ」というひらめきから書いています。
