過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【①身延大乗結社】2025.10.22

【①身延大乗結社】2025.10.22

新宿にある常円寺というお寺から講演の依頼を受けたことがある。38歳のときだった。

テーマは「インターネットと仏教の語らい」といったものだった。

当時はインターネットがようやく普及し始めた頃で、私は宗教系の掲示板を立ち上げては書き込みをしていた。そんな仮想空間や交流の場について話したが、パソコンなどやったこともないような方々ばかりで、参加者の方々には理解しづらい内容だったかもしれない。

参加者には、日蓮宗の僧侶や尼僧、そしてその信徒十数名がおられた。

数日後、ある尼僧から「ぜひ、うちのホームページを作ってもらえませんか」と依頼された。

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「身延大乗仏教結社」という集まりを主宰している方で、お聞きすると92歳だった。関戸久妙(せきどくみょう)さんという方だ。

仕事として依頼を受けるのはありがたかったので、引き受けてホームページを制作した。完成したホームページのサンプルを持って、池上駅近くのお寺を訪ねた。そこには信徒20~30名ほどが集まっており、ホームページを見せた後、雑談になった。

すると、関戸さんが「本も作ってもらいたい。そして、毎月この集いに来てほしい」とおっしゃった。

「いや、私にはほとんど信仰心もないし、大した話もできません」とお断りしたが、「ぜひとも」と強く勧められた。

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以来、毎月、身延大乗仏教結社を訪れ、皆さんと一緒に『法華経』や聖徳太子の「十七条憲法」を読誦している。

その後には、刺身や天ぷら、うな重といった豪華なごちそうが出てくる。お布施もいただく。私を中心に食事をする集いみたいになっていった。もちろん信仰が軸であるが。

とても食べきれない量なので、もったいないと思い、次回からはタッパーを持参して残った料理を持ち帰るようにした。

しかし、毎回ごちそうの山だ。もったいないので、大きな保冷バッグを持参する。そうすると、さらに多くの料理が振る舞われる。

一人では食べきれないので、親しい友人に分けたりしていた。とにかく、お寺を訪れては経を読み、ごちそうをいただき、雑談するという時間が続いた。

私は自分の話をするよりも、さまざまな人の人生の物語を聞くのが好きだ。関戸久妙師や信徒の方々の生き方を毎回伺うようになった。

私の場合、宗教や信仰の「外側」と「内側」をつなぐ媒介者のようなものだ。信じる/信じないの二分法ではなく、「関わりながら理解する」というところだと思う。

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その中でわかってきたのは、関戸久妙師が一種の「法華シャーマン」だということだった。法華シャーマンとは、『法華経』の霊力によって、神(あるいは法華の霊)が降りて霊言を発する存在のことだ。

しかし、ご本人はそのことを自覚していない。それでも、相談に来た人はそのお言葉を聞き、実践することで、病気や問題が解消されてしまうという。

わたしはといえば、最初はただの講演依頼であり、仕事としてのホームページの制作。

そこから自然に人との縁が繋がり、「毎月通う」「経を読む」「ごちそうをいただく」という、まるで古い日本的な「共同体」への参加が始まっていく流れに入っていくのであった。(このシリーズは続く)

※「わたしの精神史・宗教史」の出版に向けての原稿執筆のペースメーカーとして投稿しています。時系列など無視して、「そういえばこんなことあったなあ」というひらめきから書いています。