過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【霊的治療について】2025.10.21

【霊的治療について】2025.10.21

「ここに自分の血で『歩く』と書け!」
その人は、自分の血で「歩く」と書いた。
真剣な口調で「歩け」と告げた。
すると、歩けなかったその人が、起き上がって歩き出した。  

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この話は、リンザイから直接聞いた。
そのリンザイが亡くなった。90歳だった。
ピリチュアルな風格、柔和さのある方だった。

彼はインドのOSHOの弟子(サニヤシン)であるが、この体験は 手島神父のもとで修行していたときのことである。

手島神父(手島郁郎)は「原始福音」を掲げた「キリストの幕屋」(宗教法人名:キリスト聖書塾)神父のもとで修行した。

手島神父は、阿蘇山で「神の声」を聞いたとされ、独立した伝道活動を開始。機関紙『生命の光』を創刊し、全国で「神の幕屋」と呼ばれる集会を開催。1950年頃、祈り会で「聖霊の注がれ」を体験し、布教を本格化させた。

リンザイは、そこで修行していた。
それはまさに「グルジェフワーク」のようなものだったと語る。

グルジェフは、スーフィズムイスラム神秘主義)、カバラユダヤ神秘主義)、仏教などの東洋・西洋の伝統を融合させたもの。「衝撃」を与え、覚醒を促す変容の道を示すもの。

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あるとき、リンザイは歩けない人のところへ行った。もしかすると、手島神父の使いで行ったのかもしれない。

彼は歩けない人に向かって「本当に歩きたいのか?」と尋ねた。
その人は「歩きたい」と言う。

「歩きたいのか?」
「歩きたい」
「本当か?」
「本当に歩きたい」

そんなやりとりが続き、歩けなかった人は自分の血で「歩く」と書いた。
リンザイが「歩け!」というと、その人は歩いた。
本当のコミットメントをさせるために、血で書くという行為を迫ったのだろうか。そのことで、不可能を可能にしたということだろうか。わからないが、あるいたのは事実だとリンザイは言ってっていた。

手島神父のもとでの修行時代の話をもっと聞いておくべきだった。

※「私の精神史・宗教史」の原稿執筆のためにペースメーカーとして投稿しています。