【安居のこころ、異国の空の下で】2025.10.19
ミャンマーのお坊さんと増上寺の境内を歩いていた。
突然、二人の男が猛烈な勢いで走ってくる。必死の形相だ。
「うわっ。な、なにごと……」
突然のことで驚いた。
お坊さんの前にひざまずく。嬉しくてたまらない、感動に満ちた表情である。
お坊さんに何かを話し始めた。ミャンマーの言葉なので、私にはわからない。ひざまずいたまま、合掌した手は解かない。
お坊さんは、「ふむふむ、そうか、そうか」と威厳のある風貌で話を聞いていた。そして二人を祝福した。
彼らは、増上寺の食堂で働いているミャンマーの人たちだった。
異国の地で働き、まさか自国のお坊さんに会えるとは、夢のようなことだったろう。
ひざまずいて合掌しているその横を、増上寺のお坊さんたちが悠然と歩いていった。一人の坊さんは、くわえたタバコの煙をくゆらせながら……。その対比が面白かった。
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これはもう30年くらい前の話である。
山口県の下関に、ミャンマーのお寺「世界平和パゴダ」があって、ミャンマーのお坊さんがいらした。当時、ミャンマーで出家した友人の僧侶から、「東京でカティナ衣法要(安居明けの儀式)をやりたいので、会場を探してほしい」と頼まれた。
安居入りの日と安居明けの日は、仏教徒にとって大切な祭礼の日である。みんな寺に集まり、お坊さんに衣などを布施する。
「安居」というのは、本来、インドの雨季(3か月ほど)に洞窟や寺院にこもって外出せず修行することだ。ブッダの修行がそのまま継承されている。その安居の期間が明けた時に、儀式が行われる。
当時、ミャンマーから多くの人が出稼ぎに来ていた。彼らは「安居明け」に、お坊さんに新しい衣を差し上げる儀式を行いたいという。
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そのためには都内で、400~500人が集まれる場所が必要だった。しかも畳の会場で、食事もできるという条件だ。
下関からミャンマーの高僧(ウ・ウィジャーナンダ長老)がいらして、一緒に会場探しをした。
大きな畳の会場となると、三田の曹洞宗の会館か、芝の浄土宗の増上寺会館が候補だった。
結局、あちこち会場を探した結果、三田の「仏教伝道会館」に決めた。数日後、そこで儀式が行われた。ウ・ウェップラ長老を筆頭に、ミャンマーのお坊さん数名がいらした。
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ミャンマーの人たちの姿を見ていると、お坊さんに対する尊敬の度合いがすごい。お坊さんも、彼らの信頼に応えようと毅然と説法し、さまざまな相談を受けている。
人々がお寺に行くのは、葬儀や先祖供養のためだけではない。誕生日、結婚、就職、卒業、子どもの誕生……など、人生の節目ごとに寺を訪れる。
そして、お坊さんに布施をする(ミャンマーでは、僧侶は金銭などは決して受け取らない)。
お坊さんは、布施を受けるときは堂々としている。お礼などは言わない。人々は合掌しながら、お坊さんに報告する。聖なる人・修行者に布施することで、功徳が積まれるという価値観がある。
異国の地で働く外国人にとって、宗教は心の支えである。集まって儀式を行えることは、安心感を与え、ネットワークづくりにもなる。そして、その中心には教えを説く僧侶や聖職者がいる。そのことは、とても貴重なことだと感じた。
※『わたしの精神史・宗教史』の本作りのために、ペースメーカーとして原稿を投稿しています。