②【田中智學】2025.10.18
田中智學が世に大きな影響を与えたのは、明治・大正期の日本の国家主義が高揚していた時期だった。
日本は幕藩体制から西洋列強の植民地化の脅威に対し、明治維新(1868年)を経て、天皇制を中心とした絶対主義国家が形成された。明治政府は『富国強兵』と『殖産興業』をスローガンに近代化を推進した。
この中で、法華経に基づく日蓮主義がイデオロギーとして際立ち、田中智學はその理論的指導者として、情熱的なアジテーターの役割を果たした。
智學の思想は、特に1910年代から1930年代にかけて、国家主義の高揚期に広く受け入れられた。 明治政府の近代化政策は、西洋列強に対抗するための国家戦略であり、日蓮主義は、その宗教的・精神的支柱として機能したわけだ。
「国立戒壇」(国家による法華経の戒壇建立)という言葉も田中智學が提唱したものである。
これは日蓮の「三大秘法抄」(本門の本尊・戒壇・題目)に依拠し、法華経を国家の精神的基盤として確立する戒壇を国家が建立すべきとする。日蓮の「立正安国論」に基づく国家統治の理想を、明治・大正期の国家主義に結びつけたものだ。
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田中智學の影響を受けた人物には、二・二六事件の思想的指導者である北一輝(『日本改造法案大綱』1883-1937)や、満州事変の立案者であり「世界最終戦争」論を提唱した石原莞爾(1889-1949)がいる。
「八紘一宇」(世界を一つの家とする)は、田中智學が提唱したスローガンで、日蓮主義に基づく日本の国家主義的使命を象徴する言葉である。これは、1930年代の軍国主義や大東亜共栄圏の理念にも取り入れられ、国家主義の精神的支柱となった。
西洋列強による植民地支配への恐れから、天皇を神聖視する絶対主義国家の建設や、アジアへの侵略を正当化する勢いを加速させた。
この日蓮主義の広範な影響の中に、牧口常三郎が1930年に創設した創価教育学会(後の創価学会)の源流もあったと考えられる。
(つづく:③国柱会の訪問)
※長いので3つのパートに分けた。
『わたしの精神史・宗教史』の本作りのために、ペースメーカーとして原稿を書き続けています。