図書館で田中智學の『日蓮主義教学大観』(本化妙宗式目講義録)という本を見つけた。30歳のときだ。
田中智學(1861-1939)の勢いのある、確信に満ちた文章に触れ、目が覚める思いがした。
その思想は、法華経と日蓮に基づく宗教的信念と、天皇中心の国家体制を強化するイデオロギーを結びつけるものであった。
国柱会は、その田中智學が創設した日蓮主義を基盤とする団体である。
宮沢賢治(1896-1933)は、田中智學を尊敬し「下足番でもいいので入会したい」と国柱会の東京本部(当時、深川)に宛てた手紙に書いている。
法華経への信仰と、田中智學の国家主義的・宗教的なビジョンへの共感が強かった。そして、国柱会に入会した。賢治が20代の頃である。
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その後、賢治は上京して国柱会に通い始めた。
そんな過程で、国柱会から「童話を書いてみたらどうか」と勧められたという。
賢治の文学的才能や感受性に着目した国柱会の幹部(もしかしたら田中智學自身)が、賢治に童話や物語の創作を勧めた可能性もある。
賢治の著した「農民芸術概論綱要」を引用してみよう。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」
「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」
「なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ」
「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」
「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」
「……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……」
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賢治の内面から迸る「法華経」への信仰と、田中智學の思想が、単なる観念ではなく、彼の全存在を燃え上がらせる「生きたエネルギー」であったと思われる。『銀河鉄道の夜』などの童話が、このエネルギーから生み出された。
賢治の童話創作は、法華経の思想(一瞬の心が全宇宙に遍満する「一念三千」や不軽菩薩の「慈悲」の精神)を反映している。
やがて妹の宮沢トシ(1898-1922)が結核で倒れる。そのため、賢治は東京での国柱会活動を中断して故郷の岩手県花巻市に帰郷することになった。以後はずっと花巻市で活動をする。
賢治は、無私で献身的な人道主義者としての側面が強調される。しかし、その思想的背景にあったのは『法華経』への強い信仰と、時に排他的ともなり得る日蓮主義の影響だ。
田中智學を通して、宮沢賢治と法華経が結びつく。他の思想を排除しがちな『法華経』が、宮沢賢治を通して物語として紡がれると、柔和で詩的な世界観・生命観と響き合う。
賢治は終始、法華信徒であり、日蓮主義者であった。
有名な「雨ニモマケズ」の手帳の最後には、日蓮の十界曼荼羅が描かれており、亡くなる時、「『法華経』を縁ある人に配ってほしい」と遺言している。
(つづく:②田中智學のこと、③国柱会の訪問)
※長いので3つのパートに分けた。
『わたしの精神史・宗教史』の本作りのために、ペースメーカーとして原稿を書き続けています。