【聖誠公倫会:信仰による「解放」と「縛り」】2025.10.18
「聖誠公倫会」(せいせいこうりんかい)という新興宗教に誘われたことがある。
友人の女性が結婚問題で悩んでおり、さまざまな霊能者や新興宗教を巡っていた。その付き添いとして訪れたのだ。私が38歳のときである。
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施設は町田市にあり、広大な敷地だった。受付にずらりと並んだ美人揃いなのには驚いた。しかも、参加者は皆、高級品を身に付け、完璧なほどにおしゃれをしていた。百貨店の社長クラスも参加していたようだ。
会場には約2,000人ほどの人々が集まり、講義に聞き入っていた。宗教団体といいながら、御神体もなく、何かを拝むわけでもお経を唱えるわけでもない。
「ただ話を聞いているだけでカルマが解消される」
というのである。
以下は、講義で聞き覚えている内容をまとめた。
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家庭と人間関係について家庭のあり方は、外の世界にそのまま現れる。親子で意思疎通ができない人は、社会でも孤立しがちになる。人との折り合いがうまくつけられなければ、協力者は得られない。家庭がまとまっていると繁栄し、まとまっていないとアクシデントが起きやすい。
男性は母親への態度を改めることで、素晴らしい女性が現れる。女性は父親を大切にすることで良き指導者に恵まれ、母親を大切にすることで自分を支えてくれる人に恵まれる。
修行や信仰だけでは人間の質は変わらない。人との関わりの中で、自分の性質が現れてくる。普段なら腹を立てたり舌打ちしたりする場面で、ぐっと我慢して、「ご苦労さん」「ありがとう」の一言を口にしてみる。そうした小さな積み重ねから人間は変わっていく。
最も難しいのは親子と夫婦の関係である。なぜなら、彼らは「自分に限りなく等しい相手」だからだ。この関係を改善することが自分自身の改善につながり、それに立ち向かうしかない。自分が変わることで、周囲の状況も変わっていく。
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三つの法則教えの根幹は、主に以下の三つの法則からなるとされた。
「同質結集の法則」
同質のものごとしか起こらず、同質の者しか集まらない。その人にふさわしいことしか起きない。例えば、人を見る目がない上司にいつも仕え、不遇を嘆くというのは、自分自身がその上司と同質だから出会ってしまうのである。不平不満を外に向けても仕方がなく、自分自身を改善することが唯一の解決策である。自分が変われば、同質の法則によって環境も変わっていく。
「バランスの法則」
良いことが起きている時には、どこかで良くないことも起きている。逆に、悪いことが起きている時には、良いことも同時に起きている。調子が良い時ほど注意が必要であり、最悪の状況では、それに代わる大きな良いことが進行中であることが多い。だから、意気消沈していると良い運気を見逃してしまう。
「循環の法則」
過去の出来事を振り返ってみると良い。一度あることは二度あり、二度あることは三度ある。人生には周期があり、転換期にもパターンがある。事故は再び起きる可能性がある。この法則からは逃れられない。だから、同じことが今後も続くと想定し、現在を賢く処理することが重要である。
自らの遺伝的カルマから逃れるポイントは、争うべき相手と争わないことである。怒りを覚える当然な相手、明らかに相手が間違っているような場合でも、争いを避ける。それによってカルマは解消されていく。
また、人に不平や不満を持つこと自体が争いの始まりである。身近な人間関係に不満を持たず、とにかく我慢を第一とすること。
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参加者との質疑応答
参加者たちは些細なことでも講師に質問していた。
質問:「今度、息子が部活動の合宿に行くのですが、行っても大丈夫でしょうか?」
講師:「うーん…その質問を聞いている私の目の奥に痛みのようなものが来ました。そうすると、それは向いていないほうがいい、ということになります」
私個人としては、一つ一つの行動が縛られていくような不自由さを感じた。
「こうしないとこうなる」「これはあの前兆だ」といった説明の背景には、恐れがあるように思えた。それは自由を奪い、人を縛る世界ではないかと感じたのである。
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たいへんに驚いたのは、そんな質疑応答の最中、不思議な現象が起きたことだ。
一種の「集団霊動」とでも呼ぶべき光景である。
数十名の若い女性たちが、一斉に至福の表情で走り出し、壁にぶつかって転倒する。そしてなお、幸せいっぱいの顔をしている。
一人の男性が同様に至福の顔で走り出す。
そこには暗さや険しさはほとんど感じられない。
講師の話し方は淡々としており、煽るような要素は一切ない。それなのにこの現象が起きる不可思議さ。
さらに印象的だったのは、布教をしようとする気配がまったく見られなかったことだ。
この会合には、必ず会員と同行しなければ参加できない。一月に一度の集いに参加しないと会員資格は失効し、再参加するには最初に連れて行った会員と共に手続きが必要となる。
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開祖は芸術家の八島義郎氏(1914-2010)。彼の著書も読んだが、よく理解できなかった。ただ、現在の聖誠公倫会の状況は詳しくわからない。また、東京と地方とでは、講師の質に差があるかもしれない。
私としては、さまざまな出会いが起きるコミュニティとしての価値はあると思うが、教団に属すると些細なことで心理的に縛られてしまう。
人は信仰に入ると、「恐れによって支配される」ものだなあという感触を持った。信じ切って信じ続けられれば幸せなのかもしれないが。