笹目仙人のことを書いたが、彼が師としていた大本の出口王仁三郎について解説する。王仁三郎と大本のことをかたるとキリがないので、最低限の解説とした。
⦿---------------------------------------
大本弾圧の背景と要因
大本が徹底的に弾圧された主な原因は、その「経綸思想」(世の中の建て替え・立て直し)が国家体制と真っ向から対立したことにある。加えて、出口王仁三郎の卓越したカリスマ性も大きな要因となった。
国家体制への脅威となった「経綸思想」
大本の教義は既存の社会秩序を否定し、神の理想社会を地上に実現しようとするものであった。これは、国家神道と天皇を中心とする国体思想を推進していた当時の政府とは相容れないものであった。
第一次大本事件(1921年):天皇・皇室への不敬罪により弾圧
第二次大本事件(1935年):治安維持法違反(国家転覆企図)による弾圧
この弾圧は極めて厳しく、教団施設は徹底的に破壊された。
⦿---------------------------------------
出口王仁三郎のカリスマ性
出口王仁三郎は、教祖・出口なおの「お筆先」の神示を解釈し、教団を組織化した。その指導力と実行力は多くの信者を惹きつけ、教団を急速に拡大させた。
王仁三郎のカリスマ性は信者の強い結束力を生み、教団が国家と対峙する組織へと成長する原動力となった。教団の拡大と政治への影響力増大に伴い、王仁三郎のカリスマ性と教団そのものが国家にとって無視できない脅威と見なされるようになった。
【大本弾圧の背景と影響力】2025.10.18
大本の社会的影響力
大本は単なる宗教団体ではなく、新聞社を買収して世論形成を図るなど、その影響力は多大なものであった。
新聞社買収と世論への影響:出口王仁三郎は新聞を世論形成の重要手段と捉え、日刊新聞を買収して自らの思想を発信。軍国主義政策を批判したことは政府にとって看過できない行為であった。
信徒層の拡大と多様性:貧しい庶民のみならず、軍人や政財界人をも信徒に抱えており、特に軍人信徒の存在は国家に強い警戒心を抱かせた。
他宗教からの信徒獲得:当時の「霊術」団体からも多くの信者を獲得するなど、その教義と王仁三郎のカリスマ性は当時の人々の精神的空白を埋めるものであった。
これらの活動は、国家神道を基盤とする当時の国家体制にとって重大な脅威であり、大本の活動は宗教の枠を超えた政治的脅威と見なされ、二度にわたる厳しい弾圧を招いた。
⦿---------------------------------------
第二次大本事件の影響
第二次大本事件(1935年)は、日本の宗教弾圧史においても特に苛烈を極めた。
逮捕者数:約1,000名が検挙され、特高警察による拷問により、起訴された61名中16名が獄死した。
施設の徹底的破壊:京都府綾部の本部・梅松苑と亀岡の聖地・天恩郷がダイナマイトにより爆破され、破壊費用は大本側に請求されるという異例の措置が取られた。
墓の破壊:創始者・出口なおの墓をはじめ、信者の墓まで暴かれるなど、その徹底ぶりは中世ヨーロッパの異端迫害を思わせるものであった。
このような過酷な弾圧の背景には、大本の強大な影響力に対する国家の恐怖があった。武装を疑って踏み込んだ警官隊が竹槍一本見つけられない無抵抗な教団に対しても破壊を続けたことは、その心理的背景を物語っている。
敗戦後の大本の影響
敗戦後、大本の信者やその影響を受けた人々は、独自の教義を掲げて多くの新宗教を立ち上げた。
大本の「三千世界の立替え・立直し」という経綸思想は、戦後の混乱した社会において人々の心に響き、新たな宗教運動につながった。
⦿---------------------------------------
大本から派生した新宗教
世界救世教(創始者:岡田茂吉):
大本の元幹部。神の光による病気治療「浄霊」は、大本の「救世」概念を継承。
生長の家(創始者:谷口雅春):
一時大本に入信し、王仁三郎の影響を受ける。「人間は神の子」という思想に大本の経綸思想との共通点が見られる。
天照皇大神宮教(創始者:北村サヨ):
大本の「お筆先」に似た「神がかり」体験に基づく教団。神懸かりで神意を伝えるスタイルは出口なおの影響を受ける。
新宗教誕生の背景
出口王仁三郎のカリスマ性が弟子たちに使命感を植え付けた。
大本の経綸思想が敗戦後の不安社会で共感を呼んだ。
弾圧による教団弱体化で、不満分子や独自の主張を持つ信者が離脱した。
浅野和三郎(心霊科学研究会):
第一次大本事件で入信。王仁三郎の『霊界物語』口述筆記を担当。後に離脱し、大本での霊的体験を科学的に探求する心霊科学研究会を設立。日本のスピリチュアリズムの先駆者となる。
五井昌久(白光真宏会):
直接の所属はないが、大本系である生長の家の信者であった。「世界平和の祈り」には大本の経綸思想が反映されており、「大本系」新宗教と位置づけられる。
⦿---------------------------------------
結論
大本は、出口なおや出口王仁三郎の強力なスピリチュアリズムと経綸思想、そして卓越したカリスマ性により多くの人材を集めた。しかし、国家による弾圧や内部対立により教団が分裂・弱体化する中で、信徒や指導者たちは独自の思想を発展させた。
浅野和三郎の心霊科学研究会や五井昌久の白光真宏会も、大本の「精神的遺伝子」を受け継ぎ、日本の新宗教やスピリチュアル界に多大な影響を与えた。
大本は単なる一宗教団体を超え、近代日本の精神史に深い足跡を残したのである。