過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【怒りがおさまる道】2025.10.16

【怒りがおさまる道】2025.10.16

病気の夫を送り出して、疲労困憊。玄関前でヘナヘナと倒れ込んだ。

そのとき、「もうなにがあっても耐えていくんだ」と強い覚悟が生まれた。そうしたら、それからまったく嫌がらせやクレームがなくなった。

夫の看病に大変な時期だけれども、テーラワーダ仏教との出会いから、なにごとにも怒り(瞋)というものがまったく消えていった。

Kさんの体験だ。

20年か30年ぶりに電話で話した。

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Kさんとはテーラワーダ仏教スマナサーラ長老のご縁で知り合った。

ともに国立市に住んでいたので、たまに一橋大学のキャンパスの芝生の上でコーヒーを飲みながら文学談義をしたものだった。

このあいだの熱海でのヴィパッサナー合宿のときの、スマナサーラ長老の法話を自分の学びのためにまとめたものが、テーラワーダ仏教協会の月刊誌『パティパダー』に載っていた。

これまでスマナサーラ長老の本は5冊編集させていただき、今年はさらにもう2冊つくらせてもらった。全部で10万部以上の発行になる。

私は、協会の会員ですらない。会員用の『パティパダー』は、創刊の時から送ってくださっていて保管はしているものの、あんまり読んでいない。

今回は、自分が編集した文章が掲載されるということで、パラパラとあちこち読んでいた。すると「俳壇」のページがあることを知った。そこに、友人のKさんの俳句が載っていた。それで、なつかしくて電話したのだった。

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Kさんは元大手出版社の編集者で、ギリシア哲学の田中美知太郎や福田恆存の編集担当をしていた。

(注)田中美知太郎(たなかみちたろう、1902年 - 1985年、哲学者、西洋古典学者。ギリシア哲学の権威)、福田恆存(ふくだ つねあり、1912年 - 1994年、文芸評論家、保守派の論客。劇作家、演出家、翻訳家)

田中美知太郎先生が話されたことを文字起こしして原稿にし、京都に持参する。

先生はそれをじっくりと思索しながら読まれる。Kさんは、その間「きょうの夕飯はどうしようかしら」などと考えてはいけない。先生とともに、プラトンソクラテスの対話をじっくりと深読みしていく。

それに比べて、福田恆存さんは、発想が鋭く瞬時に飛躍することがあって、それがためか、人生の悲劇的なところも垣間見えたという。

まあ、そんな文学や哲学の話をするのも久しぶりで、楽しかった。

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聞けば、Kさんはすでに85歳。元気だった。

ご主人は50代から喘息で、咳がひどくてかなり痩せたという。

咳はマンションに響く。すると、近所からいろいろ嫌がらせやクレームを受けるという。

そして夫は80代になって脳梗塞にかかり、排尿ができなくなり膀胱から取り出す手術をした。この1ヶ月に10回近く入院したそうだ。老老介護で、子どもはいない。

喘息で咳がひどくてマンションに響く。マンションに住む人たちから、いろいろな嫌がらせを受けていた。それが、近頃はまったく怒り(瞋)が出てこなくなったという。

自分自身の内側の状態(心の在り方)が、他者との関係性や周囲の環境に影響を与えるってのは、たしかにある。「被害者」から「覚悟した者」へと変わった時、世界の見え方が変わるともいえる。

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互いに80代、介護するとなると、それはたいへんだ。いくら夫とはいえ、こちらは疲労しているし体力はない。怒り(瞋)とかやるせなさが出てくる。

しかし、ブッダの教え、そして野口整体の「活元」で救われているという。

Kさんの体験は、自分が「被害者」の立場から「覚悟した者」へと変わった時、世界の見え方、そして世界との関わり方が根本から変わるってこともある。

仏教の実践が「理論」ではなく「生き抜く力」として機能する証左でもある。

テーラワーダ仏教というか、ブッダの教えの道を歩んでいると、怒り(瞋)が出てこなくなる。たしかに実感される。

かって短気だったわたし自身そうだから。まあ、年老いて病を得たということも背景にあるが、なにごとも「あっそうか」「そうなんだ」と執着は弱くなっているよ。

「なんとかしよう」という思いも強くなくなるので、怒り(瞋)はわいてこなくなる。いや、わいてくることもあるが、すぐに気づく。気づいた上でいちおうは怒る。で、すぐに治まる。

ヴィパッサナーを長く体験した人は多くがそういう体験を得ていると思う。

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いろいろなパニックや不幸の大きな原因は、怒り(瞋恚)であろう。

そのあたりが治まると、わりと人生は穏やかになるわけだ。

「怒りが治まる」とは、逃避や抑圧ではなく、真の自由に至る道ともいえる。

「勝他の念」(=他を負かそうとする思い)は涌いてこなくなる。さっぱりしたものだ。コミュニケーションもうまくいきやすい。

「勝他の念」や「我(が)」とか「はからい」が入ると、とたんにコミュニケーションはねじれる。停滞する。通らない。

その意味で、ブッダの教え(ヴィパッサナー)はすごいよ。老いと病のリアリズムに直面する、現代の苛立ち社会への処方箋になる。

「苦」の原因は外界にあるのではなく、自分の心の反応(執着や怒り)にあり、その心を観察し、整えていくことで、どんな状況下でも平安に生きる道が開けるってことになるか。

ブッダの教えが、現実を生きる上で機能する「生き抜く技術」になる。日々の苛立ちや絶望感がおさまり、人生を穏やかに航行するための「羅針盤」となる。