【宝の山にいたのに】2025.10.6
一年間の浪人を経て、志望校の早稲田大学に合格した。
「つぶしが効くから」という理由で法学部を選んだものの、法律の授業は退屈だった。
当時の大学は、入学試験まではしっかり勉強するけれど、その後は気楽なもので、卒業して良い会社に就職できればよい、いわば人生の「足場」のようなものだと考えていた。そして、ほとんど授業には出なかった。また、友だちもたくさん作らず、宝の山にいたのに逃していたなあと思う。
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ともあれ一年留年して、どうにか大手の楽器製造メーカーに就職することができた。「寄らば大樹の陰」で、一流とみられるところに就職できればそれでいいという価値観であった。そのことが、あとで痛い目を遭うことになるのだが。
新人研修時代は大阪でピアノの販売を経験した。訪問販売として、毎日大阪の街を歩き回る日々が半年間続いた。訪問販売という仕事には人の奥深さに触れる機会がたくさんあったのだが、当時の私はそうした営業がうまくできなかった。
何しろ「頭でっかち」で、理屈っぽいところがあった。お客様が戸惑ってしまい、せっかく「買いたい」という気持ちのある方にも逃げられてしまうことさえあった。
その後、ホーム用品事業部に配属となり、広島営業所へ赴任した。担当エリアは主に島根県で、一部、鳥取と山口も担当した。
当時の私は、その地域を「裏日本」の田舎で、つまらない場所だと思い込んでいた。仕事にもまったく力が入らず、自分では使い物にならない社員だったと感じている。よくぞ会社はこんな私を大目に見てくれていたものだと思う。
今になって思うと、古代史の面から見ても、美しい海や各地に温泉があり、実に多くの魅力にあふれた地域である。学ぼうと思えば、たくさんのことを学べたはずだ。
しかし、若くて知識もなく洞察力も乏しかったため、せっかくの宝の山にいながら、その価値に気づくことができなかった。
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広島にいた頃、お寺で仏教の講座が開催されると聞き、足を運んだ。創価学会からは既に離れており、他の宗派のお寺に行くことには少し抵抗を感じたものの、仏教を学びたいという気持ちは強かった。
お寺といえば、通常はお経を読むものだ。例えば法華経や般若心経、白隠和讃など、それらについては大体の雰囲気は分かっていた。しかし、このお寺ではそれらとは全く異なるものだった。
それはお経というよりは、歌に近かった。「ええ?これはいったいなんなのだろう?これって仏教?」。それまで私が出会ってきた仏教の世界とは、まったく違う雰囲気だった。感官に直接響くような信仰の形に思えた。
そこは、浄土真宗のお寺であった。
広島は「安芸門徒」と呼ばれるように、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の信仰が盛んな地域である。信徒(真宗では門徒という)がしっかりとお経を読んでいる姿が印象的だった。
講師を務めたお坊さんの話の内容は全く覚えていないが、親鸞の「和讃」と「正信偈」の独特なメロディーと響きは強く印象に残っている。それが、私と浄土真宗との初めての出会いだった。
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こうして一見無駄に見えるすべての経験 ── 浪人、法学部での失望、訪問販売の失敗、地方での彷徨 ── が、すべてなんらかの宗教体験へと導くための道程だったようにも思えてくる。人生の回り道こそが、実は最も深い意味を持つのかもしれない。