『初めての南無妙法蓮華経』(2025.10.2)
たくさんの宗教遍歴に至った源泉は、創価学会での体験がもとになっている。創価学会体験によって宗教世界の座標が見えてくる。いちど宗教の世界にハマって、そこから脱却して見えてきたものがあるわけだ。
以下は一人の少年(私)の目を通して、巨大な宗教組織の内側を描いた、一種のルポルタージュのようなもの。「お題目(南無妙法蓮華経)」を唱えた実感と、「創価学会」という組織への複雑な思い。「信仰の本質」と「組織の現実」についての悩み。
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祖母は白内障を患っていた。目をホウ酸水で洗うのが日課で、いつも「目が見えにくい」と嘆いていた。
そんな祖母がある日、聞きつけてきた。
「創価学会に入信したら、病気が治るらしいよ」
家族は「ええ?」という反応だったが、「おばあちゃんがそれで安心するなら」と、特に反対はしなかった。父はもともと無宗教で無関心である。「病気が治るなら、入信すればいいじゃないか」と、ごく自然な流れになった。
すると今度は、創価学会側から「おばあちゃんだけではなく、ご家族全員で入信されたほうがいい」と言われた。「ならばそうしようか」という流れになった。
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当時の創価学会は、日蓮正宗の在家団体だった。つまり、創価学会に入会することは、日蓮正宗の信徒になることを意味した。まあ後に、創価学会は日蓮正宗から破門され、互いに「仏敵だ、堕地獄だ」としての罵り合っているのだが、当時は創価学会=日蓮正宗であった。
入会(入信)には、お寺で「御授戒(ごじゅかい)」という儀式を受ける必要があるという。キリスト教の「洗礼」に近い、戒律を授かる儀式である。
「これまでの誤った教えを捨て、正しい教えに帰依する」という儀式の場だった。難しく言えば「金剛宝器戒」(決して壊れることのない戒律)を授かり、御本尊を信じ、日々のお勤めをすることがその内容である。
お寺にはぎっしりと大勢の人がいた。お経や話の内容は子どもには理解できず、退屈だった。私は外の庭で遊んでいた記憶がある。当時、小学4年生くらいだったと思う。
こうして私たち家族は、創価学会の会員となった。
信徒になると、日々の「お勤め」が重要になる。そのため、礼拝の対象として御本尊が下付された。御本尊とは中央に「南無妙法蓮華経」の題目が記され、周囲に諸尊を表した日蓮正宗の「曼荼羅」の巻物である。それを掲げるために、創価学会推奨する仏壇を我が家にも用意した。
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創価学会には、一種の「一神教的」な性格がある。学会が信仰の対象とするもの(戒壇の大御本尊=日蓮のあらわしたとされる板曼荼羅)こそが絶対である。他の宗教などに縁があれば、「仏罰」を受け、不幸になると教えられた。だから、神社の鳥居の下もくぐってはならない、日蓮正宗以外の寺には行ってはならない、という。
我が家が信仰を始めるにあたり、まず「謗法払い(ほうぼうばらい)」が必要だとされた。それまで真言宗の檀家だったため、以前の信仰の品々は全て、拝めば不幸になるとされた。仏壇も位牌も数珠も、全てを処分し、焼き払うことになった。子ども心に「もったいないな」と思ったのを覚えている。
信仰とは一つに集中すべきもので、「あれもこれも」ではいけない。それはある種、エネルギーの集中を図る行為なのだろう。
ともあれ、こうして私たち一家は揃って、創価学会の一員となった。
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近所の学会の幹部がよく家を訪れ、朝晩の勤行の仕方を教え、一緒にお題目を唱えてくれたりした。そして「座談会」や各種の会合に参加するようになった。
毎週のように様々な会合に駆り出され、座談会場は近所の民家を借りて、会場は人でぎっしり。異様な確信に満ちた空気であり、内容はよくわからず、魅力を感じることはなかった。
ただ、「南無妙法蓮華経」と声に出して唱題すると、不思議なことに心身が元気になるのを実感した。お題目を唱えた日と唱えなかった日とでは、気力や顔色に明らかな違いがある。実際に信じても信じなくても、である。そんな心身の実感から、お題目そのものの力はすごいと感じた。
しかし、創価学会の「組織」には参加したくなかった。小学生の私でも「男子部」として参加するように促された。結集人員として数が欲しかったのであろう。
会合に出席すると、周りは大人ばかり。内容は、威勢のいい学会歌を幹部が扇子で指揮を取り、みんなが手を叩いて拍子をとって大声で歌うといったもので、私にはまったく面白くなかった。会合に誘われるたびに、憂鬱な気分になったものだ。
そもそも小学生の私には、仏教の教えは理解できず、それをわかりやすく説明してくれる人もいなかった。ただ「日蓮大聖人はすごい。お釈迦様よりも偉い。池田先生(創価学会の会長の池田大作氏)はすごい人だ。その方についていけば、道が開け、大人になって活躍できるようになる」といった話を聞かされていたのを覚えている。
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思い出すのは「登山会」だ。登山というが、山登りではなく、創価学会が日蓮正宗の総本山である富士宮市の「大石寺」に参拝する行事を指す。
小学5年生の時、母と二人で、浜松駅から夜行列車の特別仕立てで参加した。列車内はすべて学会員の貸し切りである。創価学会が大石寺に寄進した「大客殿」という巨大な建物の落成記念の行事の一環だったのは、後でわかった。
富士宮駅からバスで大石寺に着くと、巨大な赤い山門があり、その背後には雄大な富士山が見えた。雨が降っていた。傘を差して見上げたその赤い山門の巨大さ。「創価学会とは、こんなに大きくて歴史のある組織なのか」と、子ども心に驚いた。大石寺の広大な敷地と、そこに点在する古い塔中寺院の数々には、ただ「すごいなあ」という印象を受けた。
「奉安殿」という建物に入った。何百人もの人々が寿司詰め状態になる。「しっかり祈れば願い事は何でも叶う」という「戒壇の大御本尊」とされる板曼荼羅に向かって、一生懸命に祈願したことを覚えている。何を祈ったのかは覚えていない。だが、参列した人々の必死な祈りのエネルギー、熱量は、今でもよく覚えている。