【パーリ仏典を参考に生きる】2025.9.16
寝る前にYouTubeで「平家物語」を聞いている。さすがに原文の音声だけでは内容がつかみにくいので、尾崎士郎の訳で聞いている。
物語の前半、三十三間堂の建立や、僧侶の大般若の祈祷などが出てくる。三十三間堂は後白河天皇の命により建立された。寄進の中心的な役割を果たしたのは平清盛で、民心を掌握し、自身の権威を高める意図もあっただろう。
聖武天皇による東大寺の大仏建立に見られるように、日本における仏教は「超越的な存在」としてのブッダであり、「効き目のあるもの」であった。その教え(呪文)は、鎮護国家として受け入れられた。
加持祈祷、怨敵退散、現世利益に「効き目があるもの」として受け入れられていた。
たとえば、天皇や貴族が病にかかると、僧侶百人が大般若経を三日三晩読むとか、百座百講(僧侶が連続して法話を100回行い、経典の解説や観音の功徳について説く)を行うなどした。
▽
しかしそれは国家の祭祀であり貴族の宗教であり、民衆とは乖離していた。民衆はお経も読めず、法要儀式にも参加できず、ましてや寺院の建立など不可能だった。
平安時代の末期には、源平の戦いがあり、源氏が勝利して鎌倉時代に至る。このあたりから、「日本仏教」らしい動きが出てくる。
「聖職者に祈願してもらう」のではなく、「自ら祈り実践していく」ことが中核となる。思想・哲学的にもはるかに深遠な領域に至るようになる。
中身は、現世利益や浄土往生、悟りを目的としても、僧侶に祈ってもらうのではなく、自分で実践する点がキモである。
それらの教えを広めた法然、親鸞、日蓮、道元、一遍などの教えは、今も現代人の心に響く。
▽
私は、これらの大乗仏典や祖師の教えが好きで、若い頃から親しんできた。それが、30〜40年前にスリランカのスマナサーラ長老との出会いによって、小乗仏教と呼ばれていたテーラワーダ仏教との縁ができた。
大乗仏典や祖師の教えばかりを読んできた私にとって、パーリ仏典は哲学的にも文学的にも深遠なものとは思われなかった。訳がこなれていないということもある。
しかし病を得て「わがごと」として読んでいくと、「たしかに」と腑に落ちるものがたくさんある。
▽
その教えの内容は、日本の仏教とは大いに趣が違うと感じた。
どこがどう違うのか。
まず、ブッダを「自分を救ってくれる超越的な存在」として見ない。
あくまで人間である。覚者である。悩み苦しみから解脱する道を示してくれた人である。
ブッダを尊いものとして敬うが、しかし、あくまで道を歩むのは自分自身である。
そして、その歩み方が丁寧に示されているのがパーリ仏典であるということがわかった。
一言で言うと、今の生き方に集中する道が示されている。祈りや信仰ではなくて、いわば「自己観察」である。
示された実践の説明を丁寧にたどっていくと、確かに自分自身に変化が訪れる。これは、呪文のように、あるいは哲学的に読んでいた大乗仏典とは大きな違いであった。
▽
先日は、「宇宙のはてを知ろうと思うなら、この我が身体をしっかりと観察せよ」というローヒタッサ経を紹介した。
今回は、マールンキャプッタ経である。
マールンキャプッタがブッダに「宇宙に関する形而上学的な質問」を投げかける。彼は以下のような質問をする。
① 宇宙は永遠か、有限か?
② 魂と身体は同一か、別か?
③ 覚者(如来)は死後存在するか、しないか?
これに対して、ブッダは「答える必要がない」と説く。「毒矢のたとえ」として有名な箇所である。
毒矢に射られた人は、矢の詳細(誰が射たか、矢の素材など)を尋ねる前に治療を求めるべきである。形而上学的な質問にこだわるよりも、苦しみの原因(四聖諦)を理解し、解脱の道を実践すべきだと説いている。
「私が説明しないのは、宇宙が永遠か否か、有限か無限か…といったことは解脱に役立たないからだ。私が説明するのは、苦、苦の原因、苦の滅尽、苦の滅尽に至る道(四聖諦)である。」(大意)
「宇宙のはて」といった形而上学的な問いを追求するよりも、心の状態(欲、執着、苦しみなど)を観察し、自己の内面を理解することが解脱への道だと強調される。
そして、「心の状態(欲、執着、苦しみなど)を観察し、自己の内面を理解する実践法」として、パーリ仏典に道が示されている。
▽
すなわち、「ヴィパッサナー」(自己観察の方法)や「慈悲の瞑想」(自分と縁のあったものや生きとし生けるものに慈悲の念を送り続けること)である。
私は病身にあり、偉大な超越的な存在に救ってもらう道ではなく、自己観察、自己探求の道を歩もうとしている。「わがごと」として読み始めようとしている。実践しようとしている。
とはいうものの「魂と身体は同一か、別か」というのは、いま探求中。死後、わたしというものはどうなるのか、というところ。