過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【この身に、宇宙があり、宇宙の起原があり、宇宙の滅あり、宇宙の滅への道がある】2025.9.13

【この身に、宇宙があり、宇宙の起原があり、宇宙の滅あり、宇宙の滅への道がある】2025.9.13

宇宙の果てや苦の終わりについての深い洞察を示すお経に、「ロヒタッサ・スッタ」(Rohitassa Sutta)がある。アングッタラ・ニカーヤ(増支部)4章45番に収録されている。

ブッダのもとに夜更けに、天界の神(deva)であるRohitassa(ロヒタッサ)が現れる。彼は前世で神通力を持つ空行者であった。彼は神通力で宇宙の果てを探求した経験を持ち、その速さは「熟練した射手がヤシの木の影を横切る軽い矢を放つほど」だったという。

Rohitassaは、前世で神通力を使って宇宙の果てへ旅を試みた。しかし、宇宙の端に到達できず、途中で疲労困憊して死んでしまったという。

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ブッダは「宇宙の果てを探すのは無益だ」と説く。なぜなら、真の「世界の果て」とは、外にあるのではなく、内部の心にあるからだ。物理的な旅では、苦の根源に到達できない、と。

ここで、ブッダの有名な言葉がある。

「この六尺の身に、宇宙があり、宇宙の起原があり、宇宙の滅あり、宇宙の滅への道がある。私はそれを宣言する。」 

 すべてのものは、瞬間瞬間、生老病死があり、常なるものはない。それを止滅させるには、瞑想と智慧による内面的な探求(ニッバーナへの道)が必要である。
Rohitassaはブッダの言葉に感嘆し、去っていく。

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瞑想が進むと、ある種の神秘体験が訪れる。私自身、臨済宗の接心(集中坐禅)に出たときであった。早朝、目を開けてしっかり目覚めているのに、世界の輪郭が歪んで動き出したのだ。それをありありと観察した覚えがある。

坐禅の初心者で何も知らない私は、目の前に展開される土も板も天井のすべての輪郭が揺れだして動き出すのに驚いた。はっきりと目覚めて目を開けているのに起きる現象。

禅僧に聞くと、「ああそれは、よくあることです。禅定(呼吸の集中瞑想)の世界に入ると、そういった神秘体験が訪れます」と言われた。

それにしても、あのすべての輪郭が溶けて動き出すというのは、この世の実相が変幻極まりない無常の世界であることを見せてくれたのか、あるいは自分の中にある幻想世界を見せられていたのか、それはわからない。

パーリ経典には、そうした禅定世界の境地が示されているものもある(沙門果経など)。

私が暮らしの中で探求しようとしているのは、そうした神秘体験を求めることではない。「たんたんと現実のリアリティに直面すること」だ。「生きている瞬間に集中する」ということだ。生きているこの現実そのものが神秘であるとも言えるわけだ。

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「ロヒタッサ・スッタ」は、宇宙の真実(苦の起源とその終わり)が身体と心の中に存在し、外部の探求ではなく内面的な智慧で理解されるということを示す。

「この六尺の身(fathom-long body)に、宇宙があり、宇宙の起原があり、宇宙の滅あり、宇宙の滅への道がある。私はそれを宣言する」

パーリ語原文で示す。
“Imasmiṃ byāmamatte kaḷevare sasaññimhi samanake lokasmiṃ samudayo loko, loka-nirodho ca loka-nirodha-gāminī ca paipadā. Tañca kho etaṃ, rohitassa, mayā viditaṃ.

注釈:  Imasmiṃ byāmamatte kaḷevare: 「この六尺の身」(byāmaは「一尋」、約6フィートを指す。kaḷevaraは「身体」)。
sasaññimhi samanake: 「認識と意識を備えたもの」(心と知覚を持つ身体)。
lokasmiṃ samudayo loko: 「宇宙(世界)とその起原」。
loka-nirodho ca: 「宇宙(世界)の滅」。
loka-nirodha-gāminī ca paipadā: 「宇宙(世界)の滅に至る道」(四聖諦の道)。
Tañca kho etaṃ, rohitassa, mayā viditaṃ: 「ロヒタッサよ、私はこれを知っていると宣言する」。