過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【雑念をどうやって止めるのか。これほど難しいことはない】2025.9.5

【雑念をどうやって止めるのか。これほど難しいことはない】2025.9.5

生きるとはどういうことか。

呼吸すること、寝ること、起きること、立つこと、座ること、歩くこと、眠ること、食事すること、消化すること、排泄すること、そして考えること──そんなところだろうか。

その中でコントロールが効かないのは、心臓や胃腸などの動きだ。また、雑念が湧いて次々と生じる考えもコントロールが難しい。思考というより、むしろ雑念に近い。

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この雑念が曲者で、まだやってこない未来の心配や懸念、不安や怖れ、過去の後悔や「こうしていればよかった」という妄想の世界に遊ぶことなどだ。

そのとき、「いまここ」にいない。いまここに生きていない。

この自然に湧いてくる雑念や妄想を止めることで、安らぎ、穏やかさ、洞察がもたらされる。

では、どうやって止めるのか。これほど難しいことはない。

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ひとつの方法として、吐く息、吸う息に徹底して意識をつなぎとめること。暮らしの中の動作においては、実況中継(そのときの行為を「動詞」で確認していくこと)で、「いまここ」にいる訓練をする。それによって雑念を膨らませず、抑えることができる。その実践を練習しているところだ。

漢文

生途何所似
呼吸立坐歩
雑念頻翻湧
安在息眉前

書き下し文

生途(せいと) 何(いず)くにか似(に)る
呼吸(こきゅう)し 立ち 坐(ざ)し 歩(ほ)す
雑念(ざつねん) 頻(しき)りに翻湧(ほんゆ)す
安(いず)くにか在(あ)る 息(いき)の眉前(まえ)

現代語訳

生きる道とはいったい何に似ているだろうか。
それは呼吸し、立ち、座り、歩くようなごく当たり前の行為である。
(しかし)雑念は絶え間なく湧き乱れている。
(心を)どこに置くべきか? それは今、目の前を過ぎる「息」の中にある。