②【日本は負けるとわかっていても、戦い抜いてみせた】2025.9.1
①の続き。
「日本人は『負けるとわかっていても、最後まで戦い抜いた』。そこがすごいんだ。」
「戦い抜いて、そして死んでいった。」
そんな見方をする国もあるのだと、初めて気づかされた。なるほど。さすが『バガヴァッド・ギータ』を産んだ国だ。
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『ギータ』には、「執着を捨て、成功も失敗も等しく見て、ただ行為に徹しなさい。結果を動機とする者は哀れである」という教えがある。
「それにしても、日本は愚かな戦争をした。負け方が悪かった。1億総玉砕や特攻隊など、命を無駄にするような戦いで死んでいった。
負けるとわかっていたなら、もっと早く降伏していれば、東京大空襲も、広島・長崎の原爆も、沖縄の地上戦も、特攻隊も、戦艦大和の片道燃料だけの戦いも、インパール作戦のような『愚かな戦い』『無駄な戦い』『指導部の誤り』もなかったはずだ。」
すると、彼女は「それは違うわよ」と、上記のように即座に反論したのであった。
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私の視点は、戦争の「無意味さ」や「犠牲の大きさ」、「避けられたはずの悲劇と悲惨さ」に焦点を当てていた。
一方、彼女は「戦ったこと自体」に意味を見出していた。日本が「アジアの国として西洋の強国に立ち向かった」ことを高く評価していたのだ。
チャンドラ・ボース率いるインド国民軍(INA)が日本と協力し、インパール作戦に関与していたのもその背景にある。
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彼女は東インドのベンガル州出身で、当時のインドはイギリスの植民地であり、独立運動が高まっていた時期だった。彼女にとって、日本が「負けるとわかっていても戦い抜いた」姿勢は、「戦う意志」や「抵抗の精神」、そして「アジアの国が西洋の強国に立ち向かった姿」として、ある種の敬意や象徴的な価値を持つものだったのだろう。
しかし、彼女はこうも言った。「日本は高度経済成長で慢心し、努力を怠って、すっかり軟弱になってしまったわね。」
《戦観二義》
愚戦骨朽 恨長
降詔遅至 無義
印度視之示戦
殖民之地 星現
同戦異視 東西
風別天地 自然
「読み下し」
愚かな戦い 骨朽ち 恨み長し
降詔遅きに至り 義なし
インドには戦いを示し
植民の地に星と現る
同じ戦 東西に見方異なり
風別る 天地自然